2019.10.05 登録

  • サウナ歴
  • ホーム 湯乃市 藤沢柄沢店
  • 好きなサウナ 今日行くサウナが好きなサウナ。 好きな世界観を広げながら歩きます。
  • プロフィール マーケティングの戦略をデザインする人。 株式会社フライング・ブレイン代表。 鎌倉のウェルネスカンパニー、株式会社SPIC 執行役員/社長室。 外気浴前のルーティンはミネラル(MINERALion)→水分→高濃度ビタミンC(Lypo-C)。DJ、スケボー、湖と魚、山と湯。音と言葉と景色を集めながら、妻と娘と暮らしています。
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宮崎直哉

2026.02.22

1回目の訪問

函館の空は、サウナーに対して妙に正直だ。

HOTEL&SPA センチュリーマリーナ函館のサウナ室に入った瞬間、まず思うのは「88度?優しい顔してるじゃないの」という油断である。だがこれは、北海道の人間関係と同じで、表情は柔らかいが芯はしっかりしているタイプだ。オートロウリュが始まった瞬間、その本性は一変する。蒸気が、背中を追い越して首筋に回り込み、「ああ、あなたはちゃんとここにいるのね」と確認してくる。湿度の設計が正確なのだ。温度ではなく“熱の質量”で包んでくるタイプ。これはわかる人にはわかる、優秀なサウナの証拠である。

しかも窓の向こうには函館の街がある。これがまたずるい。普通、人は苦しい時、目を閉じる。でもここでは開けたくなる。駒ヶ岳の輪郭と街の静かな呼吸を見ていると、自分の汗が「努力」ではなく「循環」に変わっていく気がする。サウナとは我慢ではなく、納得なのだと教えられる。

そして水風呂。15度。数字だけ見れば標準的。でも、入った瞬間にわかる。「あ、これは仕事ができる15度だ」と。水深がきちんとあるから、体表だけでなく体幹まで一気に冷える。表面だけ冷たい水風呂は、言ってしまえば名刺交換だけの関係。でもここの水は違う。ちゃんと握手してくる。信頼できる冷たさだ。

プロの視点で言えば、この施設の真価は“導線”にある。サウナ、水風呂、そして階段を上がった先の天空外気浴。この「少し歩かせる距離」が絶妙なのだ。人間の血流は、移動によって完成する。座ってすぐ整うのは初心者の幸福、本当に深い整いは、移動の途中で始まる。

外に出て、函館山を正面に見た瞬間、世界が一度リセットされる。心臓の鼓動が、都市のリズムと同期する。自分が“個人”から“風景”に戻る瞬間だ。

隣にいた観光客らしき男性が、小さく「やば…」とつぶやいた。

その語彙の少なさを、私は深く尊敬する。整いとは、言葉を奪う現象だからだ。

ここは、ただ汗をかく場所ではない。自分の輪郭を、もう一度やさしく描き直す場所である。

函館の空は、そのためにちゃんと用意されている。

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宮崎直哉

2026.02.21

2回目の訪問

本日和風浴場にて
こちらのサウナは石が強い

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宮崎直哉

2026.02.18

1回目の訪問

久々に訪れた喜助の湯は、完全にサウナランドになっていた。
風神サウナで身体を温め、鬼サウナ「炎」で一気に限界の輪郭をなぞる。ロウリュの熱は容赦なく、逃げ場はないのに、不思議と安心がある。すべてが意図され、導かれている熱だからだ。

清冷泉に身を沈めた瞬間、世界が静かに切り替わる。冷たさは刺激ではなく、再起動のスイッチだった。外気浴に座ると、身体の奥で何かが整列していくのがわかる。努力も根性もいらない。ただ、この順路を辿るだけでいい。

ここは風呂ではなく、温度で自分を再構成する場所だ。
喜助の湯は今日、サウナランドとして完成していた。

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宮崎直哉

2026.02.17

2回目の訪問

ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

久しぶりにウェルビー福岡に入った。
リニューアル後は初めてだ。
なのに懐かしさより先に、「ここはもう後戻りしない場所だ」という確信があった。

昔は風呂があり、食事があり、だらりと過ごす余白があった。今は違う。浴槽は消え、残ったのはサウナと、水と、休むための椅子だけ。余計なものを削ぎ落とし、「ととのう」という一点にすべてを集約している。

フィンランドサウナの熱は逃げない。上段に座ると、熱がまっすぐに自分の芯に触れてくる。からふろは暗く静かで、自分が社会の中の役割ではなく、ただの身体に戻っていくのがわかる。アイスサウナの冷気は、思考を止め、「生きている」という感覚だけを残す。

気づけば、何かを得たというより、余計なものを置いてきた気がした。

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宮崎直哉

2025.12.21

1回目の訪問

150cmの選択と、インコの一撃!

深酒している。
仮眠してしまい深夜1人で入ることに。
仲間はもうととのい先にぐっすり寝ている。

初めての場所だし、土地勘もないが敦賀の楽しさに心がざわついている。

湯だけは、やけに澄んでいる。クリアすぎて、こちらの酔いが少し恥ずかしい。温泉というのは、時々こちらの状態を映す鏡になる。今日はだいぶ正直に映っている。

サウナに入る。黙って座る。オートロウリュが来る。時間どおりだ。こちらの気分など一切聞かない。蒸気が落ちてくる。ありがたい。今夜のような1人の夜は物理だけでいい。

水風呂へ。段差がある。選べる深さ。これは罠だ。選ばされるということは、覚悟を問われている。もちろん私の選択は150cm。理由はない。深酒した夜は、だいたい深い方に行く。沈む。世界が一段静かになる。頭が遅れて、ようやく身体に追いつく。

インコの一撃。
名前に油断する。ロープを引く。落ちてくる水。強い。雑だ。だが、この雑さがいい。考えが一発で吹き飛ぶ。誰にも見られていないのに、なぜか少し笑う。

外に出る。ととのいゾーン。横になる。風が当たる。ミストが来る。天井を見る。何も考えないつもりで、何も考えない。すると、呼吸の位置だけが決まる。身体が先に答えを出す。

あ、整ったな。
はっきりわかる。説明はいらない。

ここは ドーミーイン若狭の湯 敦賀。
初めてで、一人で、深酒して、それでもちゃんと整う。

だから何なんだ?

だから、今日はこれでいい。
明日のことは、明日の酔いに任せる。

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宮崎直哉

2025.12.20

2回目の訪問

湯に入った瞬間、舌が先に気づく。あ、これ塩だな、と。
温泉で味の話をするのもどうかと思うが、真岡では避けて通れない。
いちごの街で、なぜか海の味がする?
これはもう、ミステリーのテーマ設定として完成度が高い。

調べてみると、この湯は地下1500メートル。
太古の海水が地層に閉じ込められ、気の遠くなる時間を経て温め直され、ようやく地上に出てきた「化石水型温泉」らしい。
要するに、海が熟成されて出てきたと思えばいい。
ワインなら高級だ。

ナトリウムと塩化物がたっぷり。
だから塩味がするし、風呂上がりにやたら冷めない。
身体にフタをされた感じがして、外気に出ても湯の余韻が離れない。
江戸時代なら「名湯発見!」と札が立っただろう。
(熱海の温泉が江戸時代では圧倒的な立場だったように)

いちごの香り、ガラス越しの景色、金魚鉢みたいな開放感。
その中で、体にまとわりつくのは太古の海。
時間のスケールが急にでかくなる。
さっきまでスマホを見ていた自分が、急に地層の一部になった気がするゲシュタルトの崩壊。
バイブラが強く体をうかばせておると、その太古のガスが穴から入って大変!

だから何なんだ?
この温泉はあったまるためだけじゃない、時間を浴びるためだ。

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宮崎直哉

2025.12.19

1回目の訪問

真岡市の「いちごの湯」に来ている。

サウナに入ってまず思ったのは、背板が1×4材だということだ。
ホームセンターで普通に買えるやつ。
ここに地域性を乗せられる余地がある。
真岡なら、いちごでも木綿でもSLでもいい。 
サウナはただ熱ければいい時代を、とっくに通り過ぎているので、温泉道場らしくこだわってほしい。
しかし、細かな段差にも行き届いたバリアフリーの手すり。
ここに公営だった時から受け継がれる愛というか、熱を感じる。
第三セクター由来の住民想いは、一般企業ではなかなか発想できない。

サウナ室にほんのり漂う、あれは何だ?
いちごの匂いが3%ほど。
真岡市民の汗にいちごが染み込んでいるのか、それともいちご系ボディソープの仕業か?
どちらでもいい。
考えている時点で、もうこの街に絡め取られている。
音楽が流れるの早い。
平成は平均時間が5分だった曲も、今は3分。
音楽がタイマー代わりになる。

ガラス張りの浴室から外を眺めていると、水槽の金魚になった気分になる。ああ、うちの金魚たちも、あんな顔でぼんやりしているのだろうか。
人間は金魚に憧れ、金魚は人間を知らない。
その関係性が、ちょうどいい。

温泉はなぜか塩味がする。
江戸時代にリッチであるとされた泉質である。
なぜ塩味なのかは、今は調べない(後で調べよ)
湯に浸かりながら考えることと、後で調べることを分けられるようになったら、人は少し大人だ。

内湯がいい。
ジェット、バイブラ、静かな湯。
動中の静、静中の動。
しかも中央で全部つながっている。
人生もこうありたい。
分断されているようで、実は全部同じ湯だ。

外気浴は、栃木の風が冷たい。
余計な演出はいらない。
風は嘘をつかない。

薬湯は塩味がなく、少しカルキ臭がする。レジオネラ対策だろう。
安心は、だいたい少し無粋な匂いがする。
 
そして、シンボルは大きな時計。
温浴施設では時間を忘れたい? 違う。
あれだけ堂々と時間を突きつけられると、逆にどうでもよくなる。
とにかく大きくて無骨なクラシックな時計が泰然自若とそこにある。

真岡は、いちごの街で、農業と工業が共存していて、SLが走り、祭りが多い。つまり、ちゃんと生活している街だ。
いちごの湯は、その生活の湯気みたいなものだろう。

だから何なんだ?
おふろcafeはここでも素晴らしい仕事をしている。

CCCのご一行と、紫波町役場のスーパー公務員とのありがたい湯だった。

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宮崎直哉

2025.12.04

2回目の訪問

ひづめゆ

[ 岩手県 ]

紫波町の初雪の日に湯へ向かうなんて、誰かが仕掛けた演出かと疑いたくなる。
役場でシンガポールの客人と町のプロジェクト説明に立ち会い、オガールで余韻を噛みしめるつもりだったが、気づけば足は湯治場のほうを向いていた。
計画どおりに休むほど、人は器用じゃない。

湯へ入る前に green neighbors の新作ハードサイダーを二缶、買ってしまった。
風呂前の一杯は背徳であり、儀式であり、言い訳でもある。
「飲んでから考える」という生き方を許せる年齢になっただけの話だ。

思えば、この風呂に入りにくることが紫波町との最初の接点だった。
草彅洋平くんと濱田織人くんと訪れたあの日のことを、昨日のことのように思い出す。
ここから何かが始まったのだ。

ほどなくして仲間が商店街を歩いてやってきた。
偶然とも言えるし、必然とも言える。
いや、ひづめゆが我々を呼んだのだ、と強がり混じりの宿命論を唱えたくなる。
説明など不要で、「そういう日だ」とうなずくのが大人の流儀だ。

身体を洗い、炭酸泉で下茹でする。
サウナ→水風呂→外気浴。
この三点ルーティンは議論に似ている——熱くなり、冷め、風に当たるとようやく本音が浮かぶ。

外気浴の椅子には初雪が積もっていた。
普段あるホースは冬眠したらしく、自分のタオルで雪を拭いて座る。
サービスが削られると、かえって整うことがある。
人は自分で席を作ったほうが、腹が据わるのだ。

三巡したあとは「酸冷交代浴」。
炭酸泉から水風呂へ——私が勝手に名付けたこの入り方が、いまや施設の語彙として息づいている。
このサウナをデザインした小川翔大くんが、今月紫波を旅立つという。
寂しいけれど、こんな大いなるものを残してくれたことに感謝したい。
そしてこれからも、あの日のやりとりをふと思い出すのだろう。
人は案外、湯と建物ではなく、名前のない瞬間を覚えているものだ。

湯気の向こうではクラフトサケの可能性が語られていた。
そのPodcastのスポンサーになるきっかけまで、湯の中で生まれた。
風呂屋というのは意思決定の場である。
世の会議室の空気が薄いだけだ。

帰り際に Big Apple を買って飲む。
水を一滴も使わないその酒が、妙にありがたかった。
なぜか?
初雪と熱気のあいだで、「余計な水分はいらない」と教わった気がしたのだ。
だから何なんだ、と言われても、こんな瞬間のために人は湯に通うのだろう。

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宮崎直哉

2025.11.28

7回目の訪問

“塩サウナの生贄”になれる場所を紹介しよう。実際、ここは塩分が濃い。湯から上がってそのままサウナに突入すると、浸透圧で身体がキュッと締まる。ダイエット広告より説得力があって、鏡の前の自分がちょっとだけ“やれる男”に見える。

特にRAKU SPA 管轄になってからのアップデートは妙に洒落ている。
タオルマットが敷かれ、オートロウリュは毎時00分、照明も明るくなった。
この3つだけで、これまで微妙だったサウナ室は蘇った。

常連ほど「毎時間58分になったら走れ」が暗黙のルール。
宗教儀式のようだが、これを知っているのは常連だけでほくそ笑む。
こんな裏技絶対に一見には教えてやらない。

ここのシャンプーとリンスがやけにいい。
ジム併設だからだろうか。
「汗と海風と塩」を相手にする髪に、妙に優しい。
人生もそうだが、人は「塩対応」を浴びた時ほど“良いコンディショナー”を求めるのだろう。

いっぽうで、コラボの内風呂には近寄らない。
天然温泉を前に、ギラギラした人工の湯に浸かる気はしない。
恋人を横目に合コンへ行くような背徳感がある。
湯にも倫理があるのだ。

深夜利用は格別だ。
客のいない岩盤浴で寝そべり、5時まで時間を溶かす。
夜景は独占できるが、妙にラップ音が多い。
霊か、配管か、はたまた深夜料金の代償か。
まあいい。ここでは人も建物も、塩と湿気でちょっと歪んでいるのだから。

そして夜明け前、露天で海風を肺に流し込むと、妙な確信がやってくる。
ここは“癒し”でも“健康”でもなく、塩と熱と夜景と、ほんの少しの違和感を、自分の都合よく混ぜ直して帰る場所だ。

だから何なんだ?

整うってのは、身体じゃなくて言い訳の方が先なんだ。
そのことに気づいた奴ほど、またここへ戻ってくる。

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宮崎直哉

2025.11.18

1回目の訪問

こおりやま駅前の夜風は冷たく、駅前サウナ24の赤いネオンだけが妙に健気に灯っていた。出張の帰り道など、ろくに寄り道もしないのだが、その日はどうにも胸の内に“余白”があって、そこに温度を足すようにサウナへ滑り込んだ。

原料工場を歩いた一日だった。何度も資料で追い、口で説明し、数字で管理してきた“あの成分”が、実際にはもっと深く、もっと手触りのある物語を持っていることを、現場で思い知らされた。自分は分かっているつもりだった。だが、原料のタンクに体を寄せると、その奥に沈んでいる歴史とか、風土とか、製法に込められた執念みたいなものが、こちらの襟をつまんで引き寄せてきた。

そう考えながら入った駅前サウナ24は、まるで私のプロジェクトそのもののようだった。

サウナ室は100℃近くまで上がっていて、数字だけ見れば“強い”。だが入って数分で気づく。温度の割に湿度が追いついていない。肌に乗ってこず、喉だけが乾いていく。熱量はあるのに、伝わってこない。まるで私がこれまで訴求してきたメッセージのようで、笑ってしまった。

“数字は強い。だが届いていない。”

昭和の銭湯みたいな薄暗い壁と、常連たちのゆるい空気。それらが妙に居心地よくて、逆に思考が明晰になった。高温サウナのはずなのに、どこか“あと一滴の蒸気”が足りない。いや、それは蒸気だけではない。人は、熱があるだけでは動かない。湿度―つまり“伝わる理由”が必要だ。

原料の奥行きは今日、知った。まだ語っていない物語は山ほどある。だが私は、その“蒸気”を製品の訴求にのせきれていなかった。熱量だけで押し切ろうとしていたのかもしれない。高温サウナが、がらんと乾いた部屋のように。

私はサウナに座りながら、静かに反省した。熱だけでは足りない。湿度を与えるのは、物語であり、実感であり、現場の手触りだ。工場で嗅いだ匂い、職人の視線、タンクを叩いた時の響き―その全部が、湿度になる。

水風呂に沈むと、今日の気づきがひやりと芯まで染み込んだ。ようやく伝わる温度が整った気がした。

サウナ24の昭和レトロな天井を見上げながら思った。

私の仕事も、このサウナと同じだ。
温度を上げるだけなら、誰でもできる。
そこに湿度を足して、はじめて“伝わる”。
そして、その湿度は机の上には落ちていない。現場にしかない。

だからなんなんだ?
―いや、今日の出張は、その“なんなんだ”を探す旅だった。

駅前の夜風は、少しだけやわらかくなっていた。

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宮崎直哉

2025.11.15

6回目の訪問

視察という名の小旅行は、いつも理由が後づけになる。岩手から仲間が来たから、まずは腹ごしらえだと市場へ向かい、ラーメンと寿司を並べて平らげた。これで「視察前の儀式」が整った気がして、我が家に戻ってジンをちびちびやりながら町の未来について語り合った。未来の話というのは、酒が入るとやけに勇ましくなるが、まあそれも悪くない。

15時、Raku Spa Bay 横浜へ。かつて極楽湯の買収前に来たことがあったが、同じ建物とは思えない。ちょっと手を加えるだけで、世界はここまで“整う側”の姿になるのか。サウナ室はタオルマットが敷かれ、オートロウリュが勝手に蒸気を撒く。たったこれだけの違いで、人は幸せに向かって転がりやすくなるらしい。サウナ経験が教えてくれた最大の発見だ。

3度の「ととのい」を、90分で回収した。効率が良すぎて、むしろ何か不正をしているような気分になったが、身体が軽くなるのだから正義だ。

塩浴できる温泉は、今日も抜群に気分がいい。窓はない。格子状の木材がはめ込まれただけの造りで、外は見えないのに広々と感じる。不思議だ。岩手にもこんな造りを持っていきたいが、あちらだと熊が入ってきてしまうのだろうか。いや、高所に作れば大丈夫か。そんなことを考えるのが、湯船に浮かぶ副作用だ。

久しぶりの晴天だったのも良かった。視察というより、単なる楽しい一日だった。だから何なんだ、という話なのだが。

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宮崎直哉

2025.11.06

1回目の訪問

KIWAMI SAUNA

[ 愛知県 ]

名古屋の浅間町に、古民家をリノベしたサウナがある。
名前はKIWAMI SAUNA。
名前がとにかく強い。極まっている。
店の側がそう言い切ってしまうのだから、こちらも腹を括るしかない。

入ってみると、評判通り、細部まで気が利いている。
庭は和風で、水風呂は深くて、2メートルもある。
潜れる。いや、潜らせてくれる。
水中で耳が水に包まれると、だいたいの雑音は消える。
社会から一時的に切り離される瞬間だ。
人はこういう「切断」を求めてサウナへ行くのだと思う。

サウナ室は呼吸がしやすい。
息がしやすいということは、生きていていいと言われている感じがする。
ロウリュの香りが鼻に入ってくると、身体が理由なく許されていく。
こういうのを人は「ととのう」と言うのだろうが、
結局のところ「まあいいか」と思えるだけの話だ。

ただ、値段は少し高い。
水風呂に塩素のにおいがする日もある。
水飲み場が無いのは、ちょっとした「なんで?」だ。
世の中はだいたい、良いものと惜しいものが隣り合っている。

畳の部屋「蔵」で横になると、非日常というより、ただの現実逃避だ。
でも、現実逃避は悪いことではない。
人間は、逃げ道があるから生きられる。

ラムカレーがうまいとか、アジフライが厚いとか、
そのあたりの話はもう、どうでもいいのだ。
うまいものは、うまい。
ただそれだけのことだ。

休日は混み合う。
SNSにはリピーターがたくさんいる。
つまり、この店は「必要とされている」ということだ。

でも、必要とされているから何なのか。
人気だからどうだというのか。
サウナは結局、汗をかいて、水に沈んで、風に当たるだけだ。

それでもまた人は行く。
なぜか。
それが人生の中で、「何もしなくていい場所」だからだ。

だから何なんだ?
そう思う自分ごと「ととのう」ために、人はまたサウナに入るのである。

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宮崎直哉

2025.09.14

1回目の訪問

一度来たことがあるのか?ないのか?そんな事ばかり考えて最初はなかなか集中できなかった。

熱気に包まれながら、頭の中では「あれ、この壁、前にも見たような……」と勝手に再生が始まってしまう。似ている。いや、そっくりだ。昔、地方で朝いちばんに入ったあの浴室に。湯気しかない浴室にぽつんと自分だけいて、時が止まったような朝。その記憶に重なって仕方がない。

それを思い出していたら、汗を流すタイミングを逃し、水風呂に飛び込むのが妙に遅れた。
で、その水風呂がまた妙に冷たくて、いや冷たすぎず、ずっと入っていられる感じで、「これはどこの水なんだろう?」と考えてしまう。山からの伏流水?そういう説明を聞いたことがあるような気もする。

次に椅子に腰をおろす。目を閉じると、記憶の中のあの地方の浴室の匂いがまたよみがえってくる。すると「ここだったのか?」とまた頭が勝手に結論づけようとする。いや違うだろう、と思い直しては、また堂々めぐりに入る。

旭川は今回で二度目だ。前回の記憶がまるで残っていないから、なおさら似ているだの、違うだのと考えてしまう。
全国をうろうろしていれば、似たサウナぐらいいくらでもある。それなのに「ここがあのときの場所だったのかもしれない」なんて、どうでもいい謎解きをしながら汗をかいている。

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宮崎直哉

2025.07.31

1回目の訪問

羽田空港から始発の便で青森へ。機内ではほとんど眠れず、半ば夢の続きを引きずるようなまま、空港から青森魚菜センターへ直行した。朝の空気に胃が驚いたが、名物のカレーはどこか懐かしい味がして、旅のリズムがようやく整った気がした。

「まちなか温泉青森」に着いたのは午前10時過ぎ。ビジネスホテルのような見た目に少し不安を覚えたが、中に入ると予想以上に清潔で広々としていた。受付の対応も簡素で心地よい距離感だった。

浴室は青森ヒバの香りがほのかに漂い、熱すぎない湯温が身体にやさしかった。広めの主浴槽に浸かりながら、天井のやわらかな光をぼんやりと見上げる。こういう時間が欲しかったのだと思う。

ドライサウナは温度計が90度を指していたが、肌あたりは柔らかく、じんわりと芯から汗が出る。テレビの音も控えめで集中できる。水風呂は深さと冷たさのバランスが良く、キリッと身体を引き締めてくれた。

その後の外気浴が、とにかく素晴らしかった。屋外のととのい椅子に身を沈めると、青森の空と風が一気に包み込んでくる。呼吸が深くなり、思考が遠のく。気づけば二時間も眠ってしまっていた。風にさらされながら、ここまで深く眠ったのはいつぶりだろう。

館内には無料のマッサージチェアや宿泊者用の漫画コーナーもあり、湯上がりの余韻をゆっくりと味わえる。日帰りでも十分だが、泊まりで訪れた価値があった。

久しぶりの休みに、ただ湯に浸かり、風にあたり、眠る。そんな単純なことが、これほどまでに救いになるとは思わなかった。まちなか温泉青森は、派手さはないが、静かに整う力を持った場所だった。

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宮崎直哉

2025.07.17

26回目の訪問

スカイスパYOKOHAMA

[ 神奈川県 ]

ふたたび、横浜のスカイスパ。
いや、別に初めて来たわけじゃない。ここのサウナに通うのは、なんだかんだ理由がある。だけど今日の理由は、ちょっと特別だった。

甥っ子と来るのはこれで2度目。
中学で野球部に入って、肩まわりが急にゴツくなってきた、あの小さかった男の子だ。ひとたび風呂に入れば、彼は迷わずあの“ぬるい風呂”へ向かう。水風呂のとなりにあるやつ。おそらく彼にとっては、唯一「落ち着いて入っていられる場所」なんだろう。冷たすぎず、熱すぎず、ちょっと気が緩む温度。まるで彼の今みたいだ。

私はといえば、会社帰り。
最近、新しい事業の種みたいなものを探して、サウナに来ることが増えた。ビジネスアイデアって、会議室じゃなかなか生まれない。逆に、こうやって汗と一緒に思考をととのえることで、ふと何かが降りてくることがある。いわば、スチーム付きブレインストーミング。

無言の時間を共有するってのは、案外、会話より深く繋がる。
今日も、彼はとくに何も言わないけど、しっかり何かを受け取って帰っていく気がした。お湯に浸かるって、不思議だね。肩書きも年齢も超えて、同じ時間に包まれる感覚がある。

まあ、だから何なんだって言われたら、それまでなんだけど。
でもさ、「ぬるい風呂が好き」って言える中学生って、ちょっとかっこよくない?

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宮崎直哉

2025.07.16

1回目の訪問

温度の正義、というのが、さやの湯処にはある。

酸冷交代浴――なんだか化学の授業の小テストに出てきそうな言葉だが、実際にはもっと感覚的なものである。
炭酸泉で皮膚の下を血流が駆け巡るように感じるあの一瞬、そしてそのあとに入る水風呂で「はぁ〜〜……」と漏れる、冷たさというより「沁みる」感覚。それを繰り返す。人によっては人生もそうやって繰り返してるのかもしれないが、こっちはもっと肌感覚に素直である。

サウナ→炭酸→水風呂→炭酸→水風呂。
整い椅子に腰掛けると、風が過ぎる。
目の前にあるのは、落ち着きすぎた日本庭園と、なんだか主張の強い五右衛門風呂。その丸い縁に沿ってお湯がちょろちょろとこぼれていくのを見て、「ああ、無駄とは贅沢なのだな」と思う。

シェイプアップバスでは、空気圧という名前の圧力社会に揉まれる。シュウウウッと身体が押され、揉まれ、疲労なのか快楽なのかわからないまま、出た頃にはふくらはぎが「ありがとう」と言っていた(ような気がした)。自分の身体のパーツと会話するのも悪くない。

サ飯の十割蕎麦は、豪華というより誠実だ。十割という言葉の潔さ、風味のぶれなさ、そして何より風呂上がりの身体に沁みていくあの優しさ。だれが言ったか「汁は飲むな」と言うが、あれは蕎麦湯の文化を知らぬ者の戯れ言だと思いたい。

人の感想はあてにならないが、自分の身体が語る声には耳を傾ける価値がある。そういう意味で、さやの湯処は語りかけてくる。「疲れ、持ってるでしょ?」って。

でも、だから何なんだ。明日もまた肩に力が入るプロジェクトがやってくるのだ。とはいえ、今日くらいは脱力の勝ち。
酸冷交代浴、これぞ大人のための抜け道である。

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宮崎直哉

2025.07.11

5回目の訪問

「6padの亡霊」

今日もRAKU SPA BAY。何度目だって話だけど、回数を数えはじめたら終わりが近い気がして、あえて数えないようにしている。今日初めて内湯のチェアに座ってみた。これがまあ、見事に“整いすぎない”椅子で、妙に落ち着く。そこから視界に入ってきたのは、ジム帰りっぽい若い男子たち。やたらと体が締まってて、妙に肩周りが主張している。なんか懐かしいな、と思った。大学までの自分が、まさにあんな感じだったから。

でも別に、当時の自分は筋肉を見せびらかしていたわけじゃない。服はだいたいHIP HOPなオーバーサイズで、腹筋も胸筋もだいたい隠していた。むしろ隠すことで、自分がどういう人間かを語らずにすんでいた。筋肉はあったが、言い訳に使うほどの自信はなかった。鏡の前に立っても、何かを誇るような視線は送らなかった。ただ、ただ、削っていた。

あの6pad——割れた腹筋——は、自信の象徴というよりも、何かを取り戻したかった結果として偶然できたものだった気がする。たぶん、当時の自分は何かを必死に埋めていた。部活、トレーニング、タンパク質、プロテインバー。全部その延長線上にあった。けど今はもう、そんな生活からはずいぶん遠ざかってしまった。今の腹は、ビールと夜更かしと、ちょっとした余裕でできている。

なのに今日、あの内湯のチェアでぼーっとしてたら、不意に「もう一度6padに会いたいな」と思ってしまった。誰に見せたいわけでもない。SNSに載せる気もない。ただ、自分自身の中に一度確かに存在していたものに、再び触れてみたくなった。多分それは、体型というより、あの頃の意志に再会したかったのかもしれない。

でもまあ、筋トレを始めるかっていうと、そうでもない。やる気はないけど、懐かしむくらいはしてもいいだろう。あの頃の自分も、たまには思い出してもらえたら嬉しいはずだ。今日の整い時間は、そんな再会をふと思い出させる、ちょっと湿った風の中にあった。だから何なんだって話だけど。

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宮崎直哉

2025.07.08

4回目の訪問

湯気の向こうで、ちょっと笑う──RAKU SPA BAY 横浜にて

7月8日。湿っぽい火曜日の午後。
甥っ子が電車に乗ってやってきた。足立区から、ひとりで。
中学二年。週に1〜3日しか学校に行かない彼が、この日は登校を果たしたうえでの来訪。
それだけでちょっと偉い。

仕事を終え、彼を連れて向かったのはRAKU SPA BAY 横浜。
館内着とタオル付きで、シャトルバスも出ていて、口コミどおり“めんどくさくない”場所だった。

まずは食事。デミグラスのオムライスとビーフサラダ。
野球少年の体に配慮したメニューに、彼は文句も言わずしっかり完食。
なんだか、それがうれしかった。

青いTシャツと黒のパンツに着替えて、サウナへ。
オートロウリュ。湿度もちょうどいい。
黙って座る彼の顔が、少し大人びて見えた。
水風呂のあと、外気浴の椅子で風に吹かれながら「風、いいね」とひとこと。
それだけで、来た甲斐があった気がした。

今日はよく喋る。というか、ぽつぽつと話しかけてくる。
「この建物、前ホテルだったの?」「あの観覧車、止まることあるのかな」
普段と違って、終始ニコニコしていた。
開放されたというより、安心してる感じ。たぶん。

その後、浅いプールサイドでぼんやりし、最後は漫画コーナーへ。
何を読んだのか、私は知らない。
でも何かを読んだ彼は、少しだけ誇らしげに「やっぱ、いいわここ」と言った。

「また来たいな」
「また来よう」

それで十分。オチなんて、ない。

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宮崎直哉

2025.06.27

2回目の訪問

堀田湯

[ 東京都 ]

草加での仕事を終え、足立区へ。
仕事仲間とともに仕事をこなし、ちょっと寄り道。
案内したのは、地元の堀田湯。
自分にとっては何度目かになるお気に入りの銭湯だが、仕事仲間と一緒に来るのは初めてだった。

その前にふうりゅう。
担々麺が食べたくなり、せっかくだから親父も呼び出した。遠慮せずに「奢って」と言って、ちゃんと奢ってもらった。
変わらない親子の関係に、どこか安心する。
仕事仲間と親父が同じテーブルで担々麺を啜っている光景も、妙にしっくりきた。

少しマックに寄って仕事の続きを片付けてから、堀田湯へ。
95〜105℃の高温サウナは、湿度がしっかりあって熱が刺さる。ほうじ茶の香りとアロマロウリュが交互に訪れる空気の波に身を委ねる。
仕事の疲れや気の張りが、じわじわと汗とともに抜けていく。

そして160cmの水風呂。
深く、冷たく、静か。水に沈むと、何かのスイッチがふっと切り替わるような感覚が訪れる。
同行した仲間にその感想をしっかり聞けなかったのが少し悔やまれる。どんなふうに感じていたのか、聞いておけばよかった。

風呂上がりは日東へ。
昔から通っている町中華。ここで甥っ子と幼馴染が合流し、4人でテーブルを囲む。
巨人戦がテレビに映っていて、ビールと餃子とともに自然と会話もほぐれていく。
ただ、楽しみにしていた天津丼がメニューから消えていたことには静かにショックを受けた。10歳の頃から変わらず食べ続けていた味。消えてしまうと、もう会えない。

そのまま4人で玄海へ。
少し落ち着いた空間で、ビールをもう一杯。刺身をつまみに、さっきまで熱と冷を往復していた身体が、ゆっくり日常に戻っていく。

巨人は勝っていた。
そのことが、妙に今日の締めにふさわしく感じられた。

朝から晩まで、仕事と風呂と酒と地元の時間。
誰かと一緒にそれを重ねることで、ただの一日が少しだけ輪郭を持ちはじめる。

来月もまた、この町に来る予定がある。
次は何を食べて、誰と風呂に入り、どんな余白が残るのか。それを楽しみにしている。

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宮崎直哉

2025.06.25

3回目の訪問

横浜みなとみらい 万葉倶楽部、リニューアルオープン。

2025年6月24日、横浜みなとみらい万葉倶楽部がリニューアルして営業を再開しました。

館内は全体的に明るく、きれいに。床や壁、畳などが新しくなり、どこもすっきり気持ちいい空間に生まれ変わっています。
サウナには自動ロウリュが追加され、いいタイミングで蒸気が出てくるのがうれしい。
新たに炭酸泉も加わり、お風呂の楽しみ方も広がりました。

客室には和洋室タイプが登場。ゆっくり泊まりたい人にとって、選択肢が増えたのもありがたいポイントです。

今回のリニューアルに合わせて、神奈川県民限定の割引や、まぐろ解体ショー、ビアガーデンなどのイベントも開催中。
20周年という節目にふさわしく、より気軽に、楽しく、使いやすくなった印象です。

横浜の海を眺めながら、サウナに入って、おいしいものを食べて、夜はぐっすり。

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