2019.10.05 登録

  • サウナ歴 37年 3ヶ月
  • ホーム 湯乃市 藤沢柄沢店
  • 好きなサウナ 今日行くサウナが好きなサウナ。 好きな世界観を広げながら歩きます。
  • プロフィール 10歳の頃から家族と毎週のように行く足立区にあったラドンセンターが大好きだった。 今はマーケティングの戦略をデザインする人。 株式会社フライング・ブレイン代表。 鎌倉のウェルネスカンパニー、株式会社SPIC 執行役員/社長室。 外気浴前のルーティンはミネラル(MINERALion)→水分→高濃度ビタミンC(Lypo-C)。 DJ、スケボー、湖と魚、山と湯。音と言葉と景色を集めながら、妻と娘と暮らしています。
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御成桑拿

[ 神奈川県 ]

ロウリュで勝負せよ。
雨の日の鎌倉出勤には、ひとつだけ良いことがある。御成桑拿のレインデー割引だ。傘を差す億劫さと引き換えに、少しだけ得をする。この街の雨は、そういう帳尻の合わせ方をしてくる。
十一時、少し早いランチタイムに滑り込む。九十分一本勝負。フロントでアンケートに答えながら、もう服を脱ぎはじめている自分がいる。時間と戦う中年は、問診票と脱衣を並行処理するのだ。
ここのシャワーは、日本一勢いがいいと思っている。ほとんど滝行である。水圧だけで肩の荷が剥がれていく。ただ、なかなか温かくならない。仕方がないので、頭の中で熱い湯を浴びているイメージをする。すると本当に汗が出てくるのだから不思議だ。人体は案外、想像力で動いている。
今日の客は、私ともう一人。二階に上がると、川に見立てた水風呂と湯船のあいだに小さな橋が架かっていて、それを渡った先がサ室になっている。町屋の路地をそのまま蒸したような風景。あの広い室内と、そこから眺めるインテリアが、ほぼ独占状態である。谷尻誠の設計、madENGINEが日本で初めて吐き出す過熱水蒸気。左右のストーブから生まれた蒸気が中央で混ざり合う、立体的な熱の空間。八十三度なのに、呼吸が苦しくない。口コミを漁ると、みんな同じことを書いている。しっかり熱いのに息がしやすい、と。設計者の勝利である。
中央の水瓶から柄杓で水をすくい、自分の頭からかぶってみる。ヒューマンロウリュ。肌は冷えるのに、内側の熱は逃げない。数分でまた汗が噴き出す。これはこれで、確かに新しい。
だが、惜しい。ロウリュをして良い設計になっているのに、ストーブへのロウリュは禁止なのだ。ヒットを作ってきたマーケッターとしての私の直感が言う。キーはロウリュだ。鎌倉で唯一の、ロウリュ専門と名乗っていいくらいの武器を、この店はまだ鞘に納めたままでいる。屋上のととのいスペースだって、市街を見渡す特等席なのに、今日はガラガラだ。勿体ない。KPIはアウフグースの回数。それだけで、この場所はきっと変わる。
……と、湯気の中でひとり、頼まれてもいない事業計画を立てている。九十分の客のくせに、経営に口を出す気満々である。これはもう職業病というより、性分なのだろう。千回サウナに通っても、この癖だけは蒸発しなかった。
三セット目、屋上に出ると、雨は細かい霧に変わっていた。火照った体に、天然のスコールが静かに降ってくる。誰もいないウッドデッキで大の字になる。木の匂いが、雨に混ざる。
鎌倉の空は、低くて、白くて、近い。
繁盛してほしい、と思う。この静けさが好きなくせに、そう思ってしまう。矛盾したまま、目を閉じた。
雨の音だけが、体の上に積もっていく。
雨の日は、また来よう。

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19

台風が来ると聞くと、私は避難所ではなく、24時間営業のサウナを探し始める。

「次はどこに籠城しようか」

十年ほど前に気づいた。どうせ外へ出られないなら、広くて、温かくて、人に急かされない場所に閉じ込められるほうがいい。私にとって台風は災害であると同時に、最高のサウナ日和でもある。

しかも台風の日は、どんな人気施設も不思議なくらい空いている。

誰も来ないテーマパークに迷い込んだような贅沢が味わえる。

今日の避難先はRAKU SPA BAY横浜。

18時にチェックインし、まずは浴場へ向かう。

ここは照明が明るすぎない。浴場全体が少しだけ陰を抱えていて、湯気が輪郭を曖昧にする。その景色は、谷崎潤一郎が風呂好きだったら『陰翳礼讃』の続編を書いていたかもしれないと思わせる。

そして私が何より好きなのが露天の海水風呂だ。

身体を海で包み、そのままサウナへ入る。

汗なのか海なのか、自分でも判別がつかない。

しかも今日はアウフグースの日だった。

熱風は「頑張れ」とは言わない。ただ黙って、余計な考えだけを飛ばしていく。

人間、背中から風をもらうだけで、少しだけ生き直せるらしい。

十分すぎるほど、ととのったあと、上階の休憩スペースへ。

呪術廻戦を開き、世界観をもう一度なぞる。

設定とは、物語のためにあるのではない。作者が自由になるためにあるのだと改めて思う。その勢いのまま一本エッセイを書く。

しかし今日は、そこからが長かった。

執筆中の小説を書いては館内を歩き、歩いては漫画を読み、飽きたらネットを眺め、また小説へ戻る。気づけばワールドカップまで始まっていた。

締切というものは家にいると敵だが、サウナでは同居人になる。

不思議なことに、アイデアは机の前ではなく、浴場と休憩室を往復する途中に落ちている。

だから私は、台風が近づくたびに天気予報を見る。

雨雲の位置ではない。

次は、どこのサウナに閉じ込められようか、と。

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9

今日は会社の全体会議。100人が一つの会場に集まった。

私はもうベテランだ。だからこそ最近よく考える。

この中で、本当に仲間と呼べる人は何人いるだろう。

もちろんいる。困った時に支え合える人も、背中を預けられる人もいる。

ただ、「もったいないな」と思う人も少なくない。

まだ何も積み重ねていないのに、自分を大きく見せようとする。肩書きで強く見せる。虚勢は意外と周りには見えているものだ。

本当に実力のある人ほど、不思議なくらい静かで余裕がある。

そんな空気に長くいると、こちらまで心が濁る。

だから私は昼休みに会社を抜け出し、万葉倶楽部みなとみらいへ向かった。

熱海と湯河原の源泉に浸かり、高温サウナで汗を流し、水風呂へ。そして外気浴。たった1時間で、頭の中のノイズがきれいに洗い流される。

13時、全体会議に戻る。

頭はスッキリ。髪はふさふさ。

人はすぐには変わらない。でも、自分の心の置き場所は変えられる。

年齢を重ねて身につけた、一番役に立つ仕事術かもしれない。

みんなにも、昼休みにサウナへ行くくらいの心の余裕があればいいのだけど。

案外、仕事ができる人が増える一番の近道は、会議を一時間増やすことじゃなく、サウナを一時間増やすことなのかもしれない。

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2
木の香湯

[ 熊本県 ]

ゴルフの後に友人と立ち寄った南阿蘇の木の香湯。

正直、最近の新設温泉は「映えるだけ」で終わることも少なくないのだけれど、ここはなかなか本気だった。

まず露天風呂。

目の前に広がる阿蘇の山並みが、とにかくばっくんである。

「絶景」という言葉は便利すぎて乱用されがちだが、阿蘇の場合は空の大きさそのものが違う。東京で空を見上げると「空がある」だが、阿蘇では「空に包まれる」になる。

ゴルフでほどよく疲れた脚を湯に沈めながら眺める外輪山は、それだけで一種のご褒美だ。

そしてサウナ。

サウナ好きとして気になったのは、自動ロウリュの設定。

毎時10分・30分・50分に作動するタイプで、短い間隔で湿度を補給する設計になっている。これが実にいい。

最近は派手な大量ロウリュで体感温度だけを無理やり上げる施設も多いが、木の香湯は違う。

温度より湿度をコントロールする考え方で、息苦しさが少なく、発汗が自然に始まる。

サウナ室は3段構成。

最上段と下段でかなり体感が変わるので、その日の体調で選べるのも好印象だ。

さらに面白いのは窓。

サウナ室の大きな窓から阿蘇の景色が見える。

普通、サウナ室というのは自分との対話空間なのだが、ここでは阿蘇が勝手に会話へ参加してくる。

「まだ出るな」

と山が言う。

「いや、もう十分だろ」

と心拍数が言う。

そんな脳内会議が始まる。

そして水風呂。

表示温度は19℃前後だが、体感はもっと冷たい。

おそらく山間部特有の空気温と水質の影響だろう。

刺すような冷たさではなく、身体を締めてくるタイプ。

サウナー用語でいうところの「長く入れるやつ」である。

外気浴はさらに良い。

阿蘇の風は都会の風と違う。

都会の風は情報を運んでくるが、阿蘇の風は何も運んでこない。

だから脳が休まる。

出張続き、睡眠不足続き、多動気味だった頭のCPU使用率が、ここでようやく20%くらいまで落ちた気がした。

温泉の泉質は芒硝泉。

湯上がり後の保温感が長く続くタイプで、サウナだけでなく温泉そのものの完成度も高い。

ゴルフで身体を使い、友人とくだらない話をして、温泉に浸かり、サウナで汗を流す。

結局、人間を回復させるものは最新のガジェットでも生産性ハックでもなく、こういう時間なのかもしれない。

木の香湯は、単なる新しい温泉ではなく、

「疲れた大人を阿蘇が回収してくれる施設」

だった。

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32

出張続きで、睡眠不足で、頭だけが先に走っている時がある。

そんな時、人はつい「もっと頑張れば解決する」と思いがちだ。でも、だいたいそういう時に必要なのは新しいタスクじゃなくて、水風呂だったりする。

熊本の湯らっくすは、サウナ好きの間では有名な施設だけれど、行ってみると「サウナ施設」というより、疲れた現代人の再起動センターみたいな場所だった。

熱いサウナに入る。
深さ171センチの水風呂に沈む。
椅子に座る。

たったそれだけなのに、脳内で同時再生されていた100個くらいのタブが、ひとつずつ閉じていく。

特に名物の水風呂は面白い。普通の水風呂が「浸かる」ものだとしたら、湯らっくすの水風呂は「預ける」もの。阿蘇の天然水に身体を預けると、「考えるのはあとでいいから、今は冷えなさい」と言われている気がする。

そして気づく。

疲労というのは敵ではなく、ちゃんと生きた証拠なのだと。

私たちは疲れないために生きているわけじゃない。疲れるほど夢中になったり、走ったり、誰かのために頑張ったりする。その結果として疲れるのだから、本来は少し誇らしいものなのかもしれない。

湯らっくすの良さは、豪華さではない。

「休んでもいいですよ」

と施設全体が言ってくるところだ。

漫画を読んでもいい。
昼寝してもいい。
ご飯を食べてもいい。
何もしなくてもいい。

大人になると、「何もしない」が意外と難しい。

だからこそ、たまにはサウナに入って、水風呂に沈んで、自分を放っておく時間が必要なのだと思う。

帰る頃には、不思議と問題は何ひとつ解決していない。

なのに、「まあ何とかなるか」と思えている。

温泉やサウナの効能を医学的に説明することはできるけれど、本当の効能はたぶんそこだ。

人生は長い。

だから時々、解決することをやめて、回復することを優先してみる。

湯らっくすは、そのことを思い出させてくれる場所だった。

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4

久しぶりに旧友と過ごした。

出張が続き、睡眠不足も重なり、頭だけが先へ先へと走っていた。そんなタイミングで訪れたエミナース温泉 七福の湯は、結果的に思っていた以上の処方箋だった。

サウナ好きの視点で言うと、この施設は「映えるサウナ」ではない。

最近流行りのデザイナーズサウナのような演出もなければ、阿蘇の絶景を眺めながらととのうタイプでもない。施設には年季が入り、外気浴スペースも景観を楽しむというよりは、しっかり休むための場所という印象だ。

ただ、それがいい。

サウナ室は奇をてらわず、水風呂も過剰な冷たさを競わない。温泉施設として必要なものを必要なだけ揃えた実直な設計になっている。

特に印象的だったのは温泉との組み合わせだ。

サウナ→水風呂→外気浴のルーティンも良いのだが、この施設はむしろ温泉→サウナ→水風呂→温泉という循環が気持ちいい。泉質のやわらかさもあって、身体の緊張が少しずつほどけていく感覚がある。

サウナマニアの世界では、高温だのロウリュだのシングル水風呂だのと語られがちだが、本来サウナは回復装置だ。

七福の湯は、まさにその原点に近い。

今回の私のように、出張続きで疲れている人、睡眠不足が続いている人、考えごとで頭が熱を持っている人にはちょうどいい。

「最高にととのった」というより、

「ちゃんと人間に戻れた」

そんなサウナだった。

温泉の効能より、旧友の効能のほうが高かった気もするけれど。
少なくとも、その相乗効果はかなりのものだった。

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0
ひばり湯

[ 神奈川県 ]

17:32:00 ── 残り28分

17:32:00
大船。電車のドアが開く。降りる。
デッドラインは18時00分、ポルトガル料理のメルカド。
残り28分。
頭のなかでカウントが始まる。
考えるな。
計算しろ。
改札からひばり湯まで徒歩4分。入って、出て、目的地に向かう。
行ける。

17:33:40
下駄箱の前。券売機より先に靴を脱いでいる。手順が逆だ。わかっている。だが時間がない。靴下を脱ぎながら券を買う。シャンプーとコンディショナー、60円。手ぶらで突入した代償だ。受け取れ。進め。

17:35:14
浴室。湯気。視界が一瞬白む。洗い場の椅子。座るな。座れば負ける。立ったままシャワーを浴びる。普段なら腰を据えて呼吸を整えるところだ。その呼吸は今日、切り捨てる。

17:37:30
サウナ室、突入。砂時計は見ない。体内時計を信じろ。3分。たった3分でやるしかない。汗が出ない? 出ろ。命令だ。額に一筋。よし。

17:40:30
退室。水風呂へ直行。心臓が一度跳ねる。冷たい。構うな。1分。秒を数える。58、59──上がる。

17:42:00
脱衣所。拭く。髪は濡れたまま。乾かす時間はない。ドライヤーは敵だ。3分を奪っていく。捨てる。服を着る。
指が震えているのは寒さか、緊張か。判別している暇はない。

17:48:00
外。夕方の空気。任務完了。
16分で、私はサウナを通過した。
デッドラインまで、まだ12分。
ミッションは、成功だ。

私が確保したかったのは整うことではなく、人と会う前に一度、自分を水で通しておくことだった。
午後の汗、電車の匂い、ぼんやりした自分。それを16分で洗い流す。リセットというより、現場に出る前の装備点検に近い。
そういう日のサウナは、3分でいい。

18:00:00
濡れた髪のまま、メルカドのドアを開ける。
隣に座る相手は、私が18分前まで水風呂で秒を数えていたことを知らない。知らなくていい。いつもよりほんの少しさっぱりした顔で時間どおりに現れた男を、機嫌がいいな、と思ってくれればそれでいい。
ととのわなくても、人は次の現場へ向かえる。
さっぱりだけ、確保して。

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16

芯は、一度温まると冷めにくい

47歳。神田の同窓会の二次会で、朝までカラオケをやってしまった。いわゆるオールである。「やってしまった」は大嘘で、本当は楽しくて止まらなかっただけだ。この歳でまだこんなに遊べるのか、と自分に拍手したいくらいだった。

幼馴染というのは反則的に楽しい。会って五分で小学生、十分で中学生に戻れる。早送りの逆再生である。住む場所も、仕事も、家族構成も、髪の量も立派に変わった。髪については、お互い触れない。大人のマナーであり、ささやかな平和条約だ。それでも芯だけは変わらない。一度温まった鉄鍋みたいなもので、火を止めても、しばらく上機嫌で熱を持っている。だから何時間歌っても飽きない。

夜通し歌うのは、まぎれもなく消耗だ。声を出し、笑い、騒ぐ。体力はみるみる減る。なのに、減るほど楽しくなるのだから不思議である。人と過ごす夜は、燃料を景気よく燃やしながら、その火で温まっている。要するに、楽しい焚き火だ。

朝、仲間の店でコーヒーを二杯いただいた。一杯目は昨夜への祝杯、二杯目は今日への乾杯である。淹れてくれたのも同窓生だと思うと、缶コーヒーでは絶対に出ない味がした。朝がこんなに美味くなるなら、こんな良い魔法はない。

そのまま、うきうきと電車でサウナ北欧へ。
風呂にも入らず休憩室へ直行し、満足しきって電池が切れた。
気づけば六時間、妻の電話で起こされる。
サウナに来て最初にやったことが爆睡。
入浴料を宿泊費と呼びたい、贅沢な使い方だ。

ここからが、夜と正反対なのに、これまた楽しい。同窓会が「出す」楽しさなら、サウナは「戻す」楽しさだ。座って、汗をかいて、水にどぼん。外気浴で全身がほどけて、思わずにやけてしまう。窓の向こうは見事な晴天。完全なる朝。トゴールの湯はいつもより輝いて見えた。朝まで歌って疲れ果てていたはずが、整うほど元気が湧いてくる。北欧は、削る場所ではなく、芯から温め直す遊び場なのだ。サウナ二回、水風呂二回、プレインスリープのマットレスで全身まるごと日光浴。完璧。気持ちよくて、笑ってしまった。

向きは真逆なのに、どっちも楽しくて仕方がない。夜は人と騒いで芯を温め、朝はひとり黙って温め直す。出すと戻す、にぎやかと静か。両方とも、芯にちゃんと火を入れて、にやにやしている。

結局、温かい芯をいくつ持っているか。47歳の上機嫌は、それで決まる。騒げる相手と、ほどける場所。私には、その両方がある。あーよかった。鼻歌まじりにそうつぶやいて、上野へ行く支度をはじめた。今日もきっと、楽しい。

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21
ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

「サラダバーをくれ!」

私は、自他ともに認める「ウェルビー福岡」の常連である。
福岡出張でホテルなんて泊まろうと思ったことすらない。

街をササッとすり抜けて階段を登りあの空間に滑り込む瞬間は、私にとって人生の調律のようなものだ。

館内での私の動きに、1ミリの無駄もない。
フロントでのやり取りから脱衣、洗い場への足取りにいたるまで、すべてが我が家のリビングのごときスムーズさ。

お気に入りの「からふろ」のドアを開け、暗闇の畳に腰を下ろす。
セルフロウリュのパチパチという音だけが響く静寂の中で、「あぁ、これこれ」と心の中で小さく頷く。極寒のアイスサウナから強冷水への黄金リレー、そして完璧なととのいへ。

周囲のサウナーたちからも「あいつ、できる」と思われているに違いない、完璧な常連のたたずまいである。

心も体もフニャフニャに解きほぐされ、完全なる多幸感に包まれた私は、これまた流れるような足取りでレストランへ向かう。
メニューなんて見ない。席につくなり「いつもの」と言わんばかりの慣れた手つきで、サ飯を注文する。運ばれてきた脂質と塩分の塊を前に、私はどこまでもクールに、ベテランの余裕を崩さずに箸を動かしていた。

そう、私の「表面」は、完璧なる常連のそれだった。
……だけどね。極限までデトックスされ、ピュアな野生を取り戻した私の身体の奥底では、ただ住まいとは真逆の、ドロドロとした大暴動が起きていたのよ。

ガツンとくる旨味が喉を通り過ぎた瞬間、私の細胞たちが、常連のプライドなんてお構いなしに、一斉に拡声器を持って叫び始めた。
「おい!!! 常連ぶってんじゃねえよ!!! そんなことより生野菜はどこだ!!!」
メニューを見渡せば、そこは茶色い旨味のパラダイス。だけど、今の私が必死で隠しているこの渇望、わかる!? 欲しいのは、手の込んだ味付けじゃない。トングでワサッと皿に盛られた、あの「ただの生レタス」や「雑に切られたキュウリ」を、パリポリと音を立てて貪り食いたいのだ。細胞が求めているのは、圧倒的な「生の水分と酵素」なのである。
だけど、私は常連。ここで「あの……生野菜、ないですか?」なんてオロオロと店員さんに聞くわけにはいかない。そんなことをしたら、これまでの完璧な佇まいが水の泡だ。
私は、湧き上がる飢餓感を必死でゴクリと飲み込み、まるですべてに大満足しているかのようなディープな微笑みを浮かべながら、激ウマの唐揚げを噛み締めていた。
ウェルビー福岡さん、あなたのサウナは120点満点、ホスピタリティも完璧。だけど、あのクールな顔の裏で、常連たちがどれほど「生のビタミン」を欲して悶絶しているか、あなたには見えているか?

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19

二日連続The Ice Bath Club。
2店舗目は、体験としてかなり潔い。

まず動線がいい。
ロッカーに荷物を放り込んで、カーテンの中でさっと水着に着替える。ここで一度、モードが切り替わる。

そのまま一分後にはシャワー。
もう説明はいらないというスピード感でサウナに入る。

目の前には水風呂が2種類。
今日の設定は6℃と11℃。
マグネシウムの入ったお風呂もある。
選択肢はあるのに、迷う余白はあまりない。

壁が少ない設計も効いている。
閉じていないのに落ち着く、あの独特の開放感。

east coastの店舗と違ってチェアがない。
つまり「休む」ことを前提にしていない。少しストイック寄りだ。

一時間で5セット。
やることは単純で、入る・冷やす・戻す、それだけ。

シンガポールはそもそも外が暑い。
だからサウナが日本ほど“温め直し”として機能しない。
むしろここでは、芯まで冷えるための装置になっている。

その結果どうなるかというと、思考が静かになる。
余計な熱が抜けて、身体だけが軽く残る。

整うというより、削ぎ落とされる感覚に近い場所だった。

さて、日本に帰る!

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10

「水に肩まで沈んで、命の合図を聞く」

シンガポールは、外を歩いているだけで肌が湿る街である。
空気がもう、ぬるい。
マンゴーが熟れていきそうな湿度の中を歩かずGrabで到着。

常夏の国に「アイスバス・クラブ」という名前の施設があると仲間から聞き、それは冷たいに決まってるだろ、と胸が躍った。

タンジョン・カトン通りで扉を開ける。
中はいきなり、ノリノリのテンションだった。

受付を済ませてcoolな更衣室を抜けると浴室へ。
11度の7度で水風呂が3つ並んでいる。
日本のサウナ界で「シングル」と崇められる10度未満の水風呂が、ここではドリンクのサイズみたいに、ふつうにあるのである。
シングル、トール、グランデ、みたいな顔で。

意を決して7度に肩まで沈んだ瞬間、私は自分の心臓を思い出した。
ドン、ドン、と内側から殴ってくる。
膝から腰から胸から、命の管理権が一瞬、自分の手を離れる。冷たい、という感覚を人生で一番ちゃんと味わっている。
これがいわゆる、命の合図、というやつか。
生きてるってこういうことだったか、と妙に納得してしまう。

横を見ると、現地の欧米人が、ふつうの顔で同じ7度に入っている。
上がるなりApple Watchを覗き込んで頷いている人もいた。
女性も多い。みんなプロテインを飲んで、仲間と笑っている。
水に入って、笑える。

文化として根付くと、こういう顔になるのか、と思った。
私はサウナの260本以上のエッセイを書いてきた。
つまり「整い」の現場でずっと生きてきた人間である。

だから断言できるが、日本のサウナには別の宝物がある。整い椅子の絶妙な角度、ロウリュの儀式、湿度のひとつまで愛するような静けさへの作法。あの空気は、世界中どこを探しても、たぶん日本にしかない。

シンガポールの彼らから、私がそっと盗みたかったのは、軽やかさだった。
日本ではシングルの水風呂は「あの店だけ」「マニアの聖地」みたいな扱いを受ける。私もずっと、ありがたがってきた人間だ。
でも彼らは、7度を朝のコーヒーくらいの顔で飲み干していく。
「特別」を「日常」に降ろす、その腕力。
これが、ちょっと羨ましかった。

施設併設のカフェに移って、プロテインシェイクを飲みながら、ふと、日本のサウナ上がりに飲むキンキンの瓶牛乳を思い出した。
私はあれを、本気で世界遺産級だと思っている。
違う本質ではあるが、本質である。
旅って、つくづくいいな、と思う。海の向こうで氷水に浸かりながら、日本の整い椅子のあたたかさを、思い出している自分に気づく。

なんなんだろうな、この感覚。
我ながら、なかなか悪くない時間の使い方である。
10セット堪能しながらそう思った。

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9

灼熱と覚醒のあいだに

上野で泊まるなら北欧、という選択をする人間は、たぶん二種類いる。

「サ道のあそこか」と聖地巡礼的な好奇心で来る人と、「昨晩も」という言い方が自然に口から出るようになった人と。私はとっくに後者だ。

北欧は1992年創業。
上野駅浅草口から徒歩1分という立地で、長年「東北からの出張客を迎える宿」として機能していた。いまやサウナーの聖地として語られるようになったが、施設そのものは開業当初とほぼ変わっていない。
変わったのは時代の方だ。
人々がようやく、この場所の正体に気づいたと言える。

特徴的な赤い外壁の建物に入ると、まず更衣室がある。
館内着があるのが地味にうれしい。
長居が前提の施設だと、自然と体がそれを知っている。

第1サウナ室は、フィンランドのSAWO社製ストーブを使用し、室温110℃を超える。熱反射板によって熱がまんべんなく拡散し、赤いタイルと赤みがかった照明が視覚から「ここは灼熱の場所である」とこちらの脳に通達してくる。7〜8分でもう充分、というのは誇張でも弱さでもない。それほどの密度がある。セルフロウリュをすれば白樺の香りが室内に広がる。目が醒める。本当に、文字どおりに。

静寂を求めるなら第2サウナ室へ。テレビがないぶん、自分の内側と向き合う時間になる。ベテランのサウナ愛好家たちが黙って汗をかいている空間は、妙な連帯感がある。言葉を交わさなくても、同じものを目指している気配が満ちている。

水風呂を経て、露天風呂へ。「トゴールの湯」と呼ばれる新潟県栃尾又温泉付近産出の鉱物を使った湯で、上野駅から歩いて1分の場所にいるとは思えない開放感がある。空が見える。都市のノイズが遠くなる。
ここ本当大好き。
いつもただいまという言葉と一緒に孤独をとことん楽しむ場所である。
本を持ち込めたらもっと良いんだけどな。

ここからが北欧の本領だと私は思っている。
施設側が「外気浴こそが北欧の強み」と明言し、季節に応じてサウナ温度・水風呂温度を微調整しているという。
老舗なのに、あきらめていない。その細やかさが身体に届く。

ととのったあと、カプセルに戻ると深く眠れた。
翌朝5階のレストランで朝定食を食べながら、「昨晩もよかった」と思った。「また来よう」ではなく「また来ることになるだろう」という静かな確信として。

北欧には、人を元の自分に戻す力がある。
疲れていたことすら忘れて踏み込んだ場所で、「あ、私はこういうものだった」と思い出させてくれる。
それがここの、ちょっと怖いくらいのパワーだ。​​​​​​​​​​​​​​​​

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24

後輩の助手席

わたしには九州に後輩が何人かいる。
そのうちの二人が「こもれび、絶対いい」と言ってきた。
そのうちの一人、しかも女の子が、わざわざ車で連れてきてくれた。
普通、こういう経験は人生でそんなに何度もない。というか、たぶん数えるほどしかない。後輩の女の子が運転する車の助手席に座る、というだけで、わたしの自尊心と緊張感は交互に揺れ動いていた。「先輩らしくしなきゃ」と「先輩らしさってなんだ」が、音楽に合わせてリズムよく交替していた。
そして着いたのが、佐賀市にある新しい温浴施設だった。

源泉掛け流し、という言葉には、ある種の「本気」が宿っている。
地下1,126メートルから湧き出すナトリウム炭酸水素塩泉。「美肌の湯」とも呼ばれるその湯に浸かると、肌にまとわりつくようにトロリと柔らかく、知らぬ間に日頃の疲れと雑念が落ちていく。雑念が落ちる、というのは比喩ではなくて、湯の中で実際に「あ、さっきまで何か考えてたな」と気づくあの感覚のことだ。何を考えていたかは、もう思い出せない。
内湯・露天を合わせて8種類の湯船。岩風呂、電気風呂、壺湯。どこへ入っても源泉がかけ流されていて、湯上がりの肌はしっとりと潤っている。ここで「ぬるぬるする」と言う人と「すべすべする」と言う人に分かれるのだが、わたしは完全に後者だった。言葉の選択が、そのままその人の機嫌を表している気がする。

この施設の真骨頂は、サウナだ。
男湯には「ISOサウナ」という、国内最大級のスタジアムサウナがある。大型スクリーンが2面。映像と熱が同時に身体を包む。熱風が鼓膜と心臓をじんわりと刺激してくると、「これが現代のサウナか」と思わず膝を立てたくなる。そしてわたしは実際に膝を立てた。
女湯には「HAJUサウナ」という香りをテーマにしたサウナと、露天に樽型のバレルサウナがあるという。セルフロウリュができる仕様で、ただ熱いだけではないと後輩は言っていた。うらやましい、とは言わなかったが、顔には出ていたと思う。

施設を出るとき、後輩が「連れてきて良かった」と笑った。
その言葉には余計な計算がなかった。「いい場所を共有したい」という、それだけの気持ちが乗っていた。そういう言葉を、わたしはときどきうまく受け取れない。「気を遣わせてしまった」とか、余計な翻訳を挟んでしまう。
でも今日は、素直に受け取れた気がした。
温泉のせいか、サウナのせいか、あるいは助手席に座らせてもらったせいか。たぶん全部だと思う。
持つべきものは後輩で、持ち帰るべきは心の余韻だ。そういうことを、わたしは980円で学んだ。

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ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

福岡に来ると、だいたい迷う。どこに泊まるか、ではなく、「今日は何をしに来たのか」を、自分に問い直してしまう。打ち合わせなのか、休息なのか、それとも逃避なのか。答えが出ないまま、気づけばウェルビー福岡のフロントに立っている。
今回はプレミアムルーム「ペフメア(Pehmea)」にした。フィンランド語で「ふわふわした、柔らかい、なだらか」という意味らしい。センサー付きの鍵でしか入れない。案内板によれば「許された者のみが入れる空間」とある。我ながら大げさだと思いながら、なぜか少し姿勢を正した。
部屋に入ると、まずリクライニングのベッドが目に入る。ふかふかだった。大型テレビ、コンセント、耳栓、館内着。必要なものが全部ある。高いビジネスホテルではない。でも確実に、今夜ここで安心して眠れる、という確信がある。この「安心して眠れる」という感覚を、私はずっと軽く見ていた気がする。

サウナは24時間いつでも入れる。フィンランドサウナ、セルフロウリュ、茶室風の個室「からふろ」、サウナ室内に水風呂まである。焚き火の映像が流れる暗い休憩スペース、コワーキングスペースも4室。要するに「やろうと思えば何でもできる」施設だ。仕事も、ととのいも、孤独も、全部。
夜中の2時に、誰にも連絡せず水風呂に入れる。朝6時に目が覚めたとき、そのまま浴室に直行できる。ロビーに戻れば朝食が無料で待っている。外出は24時間OK。つまりこの場所は、「行き先のない夜」に強い。

ふと思ったのだけど、「いつでも帰れる場所がある」という感覚は、人によって全然違う。実家がそれだという人がいる。特定のカフェだという人もいる。私にとってそれは旅先のサウナ施設だったりする。カプセルホテルを「拠点」と呼ぶのに少し照れがあるけれど、実態はそうで、ウェルビーのペフメアには「ここにいていいよ」という空気がある。
センサーキーが重要なのかもしれない。「あなたにはここに入る権限がある」という、物理的な宣言。チェックインしたとき、つまり金を払ったとき、その権利が発生する。極めてシンプルだ。でも、それが意外と人を落ち着かせる。

翌日、プレミアムルームの宿泊者は正午まで館内にいられる。朝食を食べて、もう一度サウナに入って、コワーキングスペースで少し仕事をして、また湯に浸かって、ようやくチェックアウト。
この過ごし方を「だらだらしてる」と言う人もいるだろう。私はそれを「回復」と呼んでいる。回復には時間がかかる。眠れば終わりではなく、「何もしなくていい時間」がある程度続かないと、身体は元に戻らない。朝7時に水風呂から上がって暗い休憩スペースに倒れ込んだとき、「あーよかった」と思った。それで十分だと思う。

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中洲川端の駅を出て、一分も歩かないうちに見えてくる。「グリーンランド」。名前だけ聞けば遊園地か何かかと思うけれど、実態はサウナ&カプセルホテル。
ロウリュを浴びて、水風呂に飛び込んで、外気浴で宇宙と合一して。それだけでじゅうぶんのはずなのに、なぜか3階のスナックみどりに立ち寄ってしまう人が後を絶たないという。週末になると、女将が厳選したレコードが回る。バーカウンターに、ジャズの名盤が流れる。サウナ上がりのほてった体で、生ビールを一杯。
悪くない。というか、かなりいい。
スナックみどりを語るとき、避けて通れないのが真空管アンプの話だ。国内有数の音響チーム・小松音響が手がけた真空管アンプが、4台ディスプレイされている。4台。
私は決してオーディオマニアではない。スペックを語れる知識もない。ただ、あのオレンジ色にぼんやり灯る管の光を見ると、深いところで「欲しい」という気持ちが湧き上がってくる。理屈じゃない。あの光に、負ける。
サウナで毛穴が全開になっているせいか、深夜の中洲という特殊な磁場のせいか。欲しいと思う気持ちと、自分にはまだ早いという気持ちが同時に来る。この感覚、真空管アンプに限った話じゃない。
書評つきで紹介された漫画の棚の前に立ったとき、もう少し複雑な気持ちになった。読書コーナーには、誰かが丁寧に言葉を添えた漫画がずらりと並んでいる。
私はとりあえず、全部の書評を読んだ。漫画よりも先に、書評を読んだ。これはいったい何をやっているのか。
書評というのは、その人の「世界の切り取り方」が出る。同じ作品でも、何に反応したか、どこを引用したか、誰に薦めたいと思ったか。女将の書評を読みながら、この人はこういうふうに物語を読む人なんだ、と感じた。
そこで少し、自分の孤独に気づく。
グリーンランド中洲店のコンセプトは「おじさんたちのユートピア」だ。リモートワークの孤独感、社会との関わりの希薄さ。そういう時代に「1人でいられる場所」として生まれた空間だという。
読んだとき、少し笑ってしまった。笑ったあと、ちょっと胸が詰まった。
「ユートピア」というのは、極上の幸福を求めているわけじゃない。ただ、ほっとできる場所だったりする。
真空管アンプのオレンジ色の光。書評つきの漫画。女将が選んだレコード。これらは全部、「1人でいることを、悪くないことにするための装置」だと思う。
それに気づいたとき、さっきまで喉から手が出るほど欲しかった真空管アンプへの渇望が、少し違う色を帯びた。あれはアンプが欲しいんじゃなくて、あの光の中にただ座っていたい、ということだったのかもしれない。
それがわかっただけで、一杯飲みに来た甲斐はあった。

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ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

博多のキャナルシティ脇、祇園の路地を少し入ったところにウェルビー福岡がある。「サウナーの聖地」という言葉を使うと少し大げさな気もするけれど、全国からわざわざ飛行機に乗ってくる人がいるというのは、おそらくその言葉が正しいということだ。

グッズ売り場に来て、私はいつも少し時間をかける。

ウェルビー福岡で買えるのは、主に三つ。サウナハットが5,500円、サウナマットが2,500円、そしてMOKUタオルが1,500円。どれも実用品として一線を画す質感をしている。

なかでも目を引くのが、SAUNA&co.とのコラボサウナハットだ。大阪・泉州産のタオル地でつくられていて、薄手なのに吸水力が高く、速乾性もある。そこにウェルビー福岡のロゴが大きく刺繍されている。通販では買えない。ここにしかない。「御朱印」と表現した人がいたが、いい喩えだと思う。ここに来て、ここで蒸されて、ここで買った。その証明書だ。

MOKUタオルも同様で、薄くて軽い。びっくりするほど水を吸う。これもロゴ入りで、1,500円という値段は正直安いくらいだと思う。サウナ施設のグッズにしては珍しく、使えば使うほど意味が増す種類のものだ。
私は、MOKUタオルを2枚買った。

福岡に着いたその日、仕事が終わってからウェルビーに飛び込んで、1時間半ちゃんと蒸された。翌朝また仕事がある。でも帰る前にグッズ棚の前に立った。1枚は自分用。もう1枚は、オフィスで待っている後輩ちゃんのためだ。

彼女は佐賀から毎日、福岡のオフィスに1人で出社している。チームの誰もいない拠点に、毎朝ひとりで来ている。彼女はそれを特に嘆かない。嘆かないどころか、他の会社のメンバーと飲み歩いている。

後輩とは言え仲間には健やかでいて欲しいものだ。
この小さなタオルが彼女に健康を届けてくれますように。

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9

巌流島から帰ってきて、サウナに入るという体験を、私はまだうまく言語化できていない。
照葉スパリゾート門司店の露天スペースに出ると、目の前に関門海峡が広がる。行き交う貨物船。対岸の山口県。そして少し先に、さっきまでいた巌流島。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した場所が、外気浴スペースから見える。そういう施設が、この世にある。
サウナ室は95度。かなり高い。中央に鎮座するストーブが、じわじわと全身に迫ってくる。逃げ場がない。逃げない。それがサウナというものだ。
全館ナノ水を使っているらしい。1メートルの10億分の1の分子が動いている水、と説明書きにある。正直、違いはよくわからない。でも、なんとなく肌が柔らかい気がした。信じることにした。プラシーボでも、気持ちよければいい。
水風呂は14度、バイブラで泡立っている。体の輪郭が溶けていく。
外気浴のベンチに横になる。潮風が来る。海の匂いがする。今日一日、ここまで来る道のりがゆっくり、コマ送りで浮かんでくる。新下関の朝の空気、唐戸市場の喧騒、小倉の桜と白いお城のコントラスト、巌流島の石碑の前に立ったときの、あの静けさ。
問題が消えるわけじゃない。ただ、今日見てきたものと、今ここにある自分が、ちゃんと繋がった気がした。
よく汗をかいた。ミネラルもビタミンも、潮風と一緒に出ていった。MINERALionとLypo-Cを補充する。出したものを入れ直す。
で、サウナの外気浴スペースから巌流島が見えると、だから何なんだって話なんだけど。いい一日だった。

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18
ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

森のサウナと、40度の水風呂

知り合いに、サウナに行くたびに全種類制覇して記録している人がいる。「今日はケロ三セット、からふろ二セット」と報告してくる。聞いていないのに。

その人のことを、どこかで微妙だと思っていた。

ウェルビー福岡で、森のサウナを三回おかわりしながら、ほかの三つも全部入りきった今夜、その人に謝りたい気持ちになっている。欲張りは遺伝子レベルの話だった。

今日は朝から動いていた。新下関を早朝に出て、唐戸市場、門司港、小倉、巌流島と巡った。小倉で桜を見た。白いお城と桜のコントラストが、息をのむほど綺麗だった。こういう瞬間に限って、言葉が先に出ない。DJでいえば、曲と曲のあいだの一瞬の無音。何かが鳴り終わって、次がまだ始まっていない、あの数秒。桜はいつもそれをやる。毎年わかっているのに、毎年不意打ちを食らう。

そういうものを一日分ため込んで、夜に博多に流れ着いた。

柄杓に水をすくって、石にかける。じゅっ。この一秒のために、今日一日かけて来た気がする。暑いだけのサウナは白湯だと思っている。ロウリュのある湿度と香りと、石に水をかける小さな儀式の総体が、魂
と呼ばれるなにかに届く。スペックじゃなくて、作法の話なのだ。

水風呂はシングル、5度前後。入った瞬間、幕が下りる。朝からため込んだ唐戸市場の喧騒も、小倉の桜も、全部いったん5度の水に沈む。問題が消えるわけじゃない。ただ、問題と自分のあいだに隙間ができる。
ちなみにここ、「40度の水風呂」というものがある。どう見てもお風呂だ。でも水風呂と呼ぶ。意地を張りながら現実に負けている。その綻びが妙に愛おしい。博多華丸さんの専用ロッカーもある。それだけでいい。

よく汗をかいた。ミネラルもビタミンも、たっぷり出た。寝る前にMINERALionとLypo-Cを補充する。出したものを入れ直す。それだけなのに、好きなんだこの儀式が。

明日の朝、体がどう答えるか。それが今夜の楽しみだ。
おつかれ、今日の私。新下関から博多まで、よく来た。森のサウナ、三回も。我ながら。

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函館の空は、サウナーに対して妙に正直だ。

HOTEL&SPA センチュリーマリーナ函館のサウナ室に入った瞬間、まず思うのは「88度?優しい顔してるじゃないの」という油断である。だがこれは、北海道の人間関係と同じで、表情は柔らかいが芯はしっかりしているタイプだ。オートロウリュが始まった瞬間、その本性は一変する。蒸気が、背中を追い越して首筋に回り込み、「ああ、あなたはちゃんとここにいるのね」と確認してくる。湿度の設計が正確なのだ。温度ではなく“熱の質量”で包んでくるタイプ。これはわかる人にはわかる、優秀なサウナの証拠である。

しかも窓の向こうには函館の街がある。これがまたずるい。普通、人は苦しい時、目を閉じる。でもここでは開けたくなる。駒ヶ岳の輪郭と街の静かな呼吸を見ていると、自分の汗が「努力」ではなく「循環」に変わっていく気がする。サウナとは我慢ではなく、納得なのだと教えられる。

そして水風呂。15度。数字だけ見れば標準的。でも、入った瞬間にわかる。「あ、これは仕事ができる15度だ」と。水深がきちんとあるから、体表だけでなく体幹まで一気に冷える。表面だけ冷たい水風呂は、言ってしまえば名刺交換だけの関係。でもここの水は違う。ちゃんと握手してくる。信頼できる冷たさだ。

プロの視点で言えば、この施設の真価は“導線”にある。サウナ、水風呂、そして階段を上がった先の天空外気浴。この「少し歩かせる距離」が絶妙なのだ。人間の血流は、移動によって完成する。座ってすぐ整うのは初心者の幸福、本当に深い整いは、移動の途中で始まる。

外に出て、函館山を正面に見た瞬間、世界が一度リセットされる。心臓の鼓動が、都市のリズムと同期する。自分が“個人”から“風景”に戻る瞬間だ。

隣にいた観光客らしき男性が、小さく「やば…」とつぶやいた。

その語彙の少なさを、私は深く尊敬する。整いとは、言葉を奪う現象だからだ。

ここは、ただ汗をかく場所ではない。自分の輪郭を、もう一度やさしく描き直す場所である。

函館の空は、そのためにちゃんと用意されている。

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本日和風浴場にて
こちらのサウナは石が強い

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