ホテル大野屋
ホテル・旅館 - 静岡県 熱海市
ホテル・旅館 - 静岡県 熱海市
はろー、熱海。
噂の「ローマ風呂」のサウナに入りながら、僕はガラスの向こう側を眺めていた。そこには、これぞローマと言わんばかりの豪華な入浴施設が広がっている。彫像、列柱、どこまでも高い天井。まるで『テルマエ・ロマエ』の世界に迷い込んだかのようだ。
ふと、昔ひとりでブダペストを旅した時のことを思い出した。ハンガリーの歴史ある温泉施設も、確かにこんな雰囲気だった。重厚で、少し浮世離れしていて、「自分はいま、とんでもなく文化的な場所にいるのではないか」と錯覚させてくれる、あの感じだ。
しかし、ふと我に返る。ここはハンガリーでもなければ、ましてや紀元前のイタリアでもない。静岡県熱海市である。
「なぜ」を追いかけるのをやめてみる
「なぜ、熱海でローマなのか」という問いが、サウナの熱気とともに頭の中をぐるぐると回る。普通に考えれば、意味がわからない。熱海なら、もっとこう、ひなびた温泉情緒とか、相模湾の海の幸とか、そういう「和」の方向に振り切るのが正解のような気がする。ローマと熱海。この二つの単語の間には、本来であれば新幹線でも追いつけないほどの距離があるはずなのだ。
だが、汗がダラダラと流れ落ちる中で考えた。そもそも、世の中のすべてのことに「意味」なんてあるのだろうか。
僕らはついつい、何にでも理由をつけたがる。「これは〇〇のために作られた」とか「これには××という歴史的背景がある」とか、納得できる説明がないと、なんだか落ち着かない。でも、サウナという非日常の箱の中で蒸されていると、そんな理屈がどうでもよくなってくる。
そこにあるのは、ただ圧倒的な「逸脱」だ。目の前には、笑ってしまうほど馬鹿馬鹿しく巨大なローマ風の建築があり、そこを裸の日本人が右往左往している。このシュールな光景を前にして、意味を探そうとする方が野暮というものだ。
「でかい」は、それだけで正義なのだ。天井が無駄に高ければ、それだけで心は少し広くなる。豪華な柱が立っていれば、それだけで背筋が少し伸びる。本能が「あぁ、広いなあ、気持ちいいなあ」と叫んでいるなら、それがすべてなのだ。
僕らはときどき、正解探しに疲れすぎてしまう。熱海でローマに浸かったっていい。意味からの逸脱こそが、実は凝り固まった脳みそを解きほぐす一番の薬なのかもしれない。
サウナを出て、水風呂に浸かり、再びローマの全景を眺める。
「熱海なのにローマ。変なの」
そう呟きながら、僕は少しだけ笑った。
理由がなくても、整合性がなくても、そこに爽快感があるなら、それでいいじゃないか。
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