2023.06.12 登録
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サウナの告白③
晴天
東京は南西部にある高尾は
TAKAO36SAUNAである
高尾山の山麓と新鮮な空気が故郷との情景を重ねる。
そこには都会との喧噪を断ち切るために、まるで自身を山の懐へと埋葬したかのようであった。
しかしそこにはモダンでコンクリートを打ちっぱなしの建物にして「36サウナ」とネオンが飾られて
クラフトビール醸造所がありユニークである。
俗に言う田舎の風景に不釣り合いであり
しかしその不自然なコントラストがアーティスティックで魅了されるのみである。
扉を引き開け、少し急な階段を登り
入り口の引き戸に手を伸ばすと
そこにはシックで実に洗練された空間が
サウナへの期待と興奮を掻き立てるようである。
受付に立つスタッフたちは、
ただの従業員というより、
この高尾の聖域を守る巫女や侍のようであった。
その所作は無駄がなく、
言葉は静かでありながら、
客を包み込むような笑みがある。
支度場でサウナとゐう儀式に相応しい人間の本来の姿に戻る。
浴場に入ると高尾山の山影に吸い込まれていくように静かでまるで山寺の本堂が夜にひっそりと扉を閉じたときのように、
静謐そのものだった。
その瞬間、私は胸の奥底に
静かだが確かな“至福”が湧き上がるのを感じた、
いや、至福である
サ室は二種あり
「musasabi(ムササビ)」
「anaguma(アナグマ)」であり
サウナを名付ける名前としては
理解に苦しむと思う思想を一蹴する様に
全てが一致する様に説明もする必要のないものになった。
ムササビは広々とした室内で照明も明るくオートロウリュであり
まるで晴天の壮大な原っぱでムササビが木の上から飛膜を広げ滑空する様に解放があり
アナグマは対照的に
決して広くは無い室内に暗めの照明にセルフロウリュであり
自ら巣穴を掘りエサを調達して冬ごもりをするように
心を鎮静させる様である。
どちらも比較しようもなく
好き嫌いは己の感情、出来事、気分で変わるものであるのであろう
ただ今宵はアナグマの気分であった。
水風呂も二つあり
19℃とグルシンの8℃である。
小生は普段、熱と冷の高低差はあれば良いと言う思想ではなく、何度とグルシンの水風呂は入ったのであるが決して気持ちの良いものではなく、よしちゃってたのですが
今宵はご無沙汰ぶりにグルシンの水風呂に身を預けた。
確かに體を鋭い冷気の剣で突き刺される様であるが
整いの刹那、世界の輪郭がぼやけ意識が砕ける時
悪く無く寧ろ頑固な固定概念が柔に崩れる様に最も簡単に好意を抱かせるのであった。
高尾山の群青の稜線がゆるやかに溶けて、
まるで私の魂までも静かに抱き寄せるように、美しく滲んでいった。
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サウナの告白②
晴天
再び東京は港区PARADISE
港区の夜を切り裂くように聳える硝子の塔の下、その碧に染められた空間は、依然として美しかった。
このサウナを再び訪れた。
前回よりも、いくらか慣れた指先で、スマートフォンを掲げた。
液晶の青の光が、静寂の中で微かに頬を照らす。
画面の中央に浮かぶQRコードは、どこか神聖な印章のようで儀式の入口であることを思い知らされる。
受付の青年は淡々と頷き、ロッカーキーを差し出す。
その所作には、かつての人間的な温もりがある。
衣服を脱ぎ、支度場で流れる噺屋の声に耳を傾ける。
支度場から浴室への扉をあける、
まるで秘密の庭への誘いのように、訪れる者の感覚を研ぎ澄ます。浴室の中央に配された緑の植栽は、生命の密やかな鼓動を象徴し、その周囲の切り株の椅子は、静かに座する者の体をそっと抱擁するかのように映る。
體を清めた後に、
甲冑の兜を纏うが如く、サウナハットを頭に被りタオルを顔に巻き、熱の合戦へ出陣する。
熱気は戦場の炎の如く、瞬時に全身を包み込み、汗腺という名の兵が、一斉に覚醒する。木の床は戦馬の蹄跡を受け止める大地の如く、踏みしめるたびに体中の緊張が研ぎ澄まされる。
石造りの陣地から熱風が静かに渦を巻く。
私は刀を振る様に杓で香油水を掬い、炎のように熱せられた石にそれを注ぐ。
その瞬間、蒸気は烈火の如く跳ね上がり、空間を支配する。熱気は兵士の胸を打つ戦鼓の音の如く、胸を震わせ、皮膚の感覚を鋭敏に叩き起こす。
蒸気が一斉に立ち込める度に、胸中の士気は高まり、無言の誓いが全員に伝わる。
熱気の戦場を後にする。扉を開けるとまるで敗北を知った武士のように静かに歩を進める。
水風呂に身を沈めるその瞬間、熱の刀を浴びた體は冷気に再び目覚め、精神は鎧を纏った如く鋼鉄のように堅固となる全身を支配する冷気の旋律は、戦場で昂ぶる心を極限まで研ぎ澄ます。
水風呂の温度は14℃と11℃の二つあり
熱で焼かれた體を一瞬にして、體の全ての組織、毛細血管、骨身を引き締める。
水風呂で冷えた身体を慣らしながら、私は静かに階段を踏みしめる。木の冷たさが足裏に伝わるたび、戦いの熱が体内に深く沈殿し、筋肉は微かに震え、心臓はまだ戦の余韻に高鳴る
畳の上で目を閉じれば、心は静かに整い、体は戦で削られた力を取り戻す。
戦いの熱と静謐の冷気が交わる極限の余韻が、魂の奥深くに刻まれるのだ。
まだ夜の沈黙を抱く港区の奥深くに漂う
ネオンや街灯の光は徐々に溶け、ビルの窓ガラスに映る夜の影が薄れ
東の空がわずかに白みを帯び始めるのであろう。
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サウ後日記⑩最終章
晴天
東京は墨田区、薬師湯
東京の空を切り裂くようにそびえ立つスカイツリー。
夜の灯りに包まれたスカイツリーは、光の塔として東京の夜空に浮かび上がる。都市の喧騒も、日常の慌ただしさも、すべてはこの塔の下で一瞬の秩序に還元される。スカイツリーは、単なる建造物ではなく、現代における美の象徴である。
その影にひっそりと佇む薬師湯。
どこか先ほどのスカイツリーの現在アートの様な美とは対照的に、タイル張りの年月の温もりを帯び、まるで長く寄り添った家族のように、訪れる者を受け入れる。
私は一歩、敷居をまたぐ。
その瞬間、まるで別の世界に踏み入れたようだった。
おそらく、主人はプロレス好事家でゐるのであろう
セントープロレスのマスクマンの写真が飾られている。
新日本プロレスの新作ニュースが切り取られ浴場に貼ってある
私はプロレスが好きだ。
體を清め、いざ熱のリングへと上がる。
その刹那、サウナハットがプロレスマスクの様に思えた
扉を開いた瞬間、熱が、まるで観客の歓声のように全身を包む。
私は、タオルを顔に巻き、サウナハットを深く被る
まるでマスクマンの様な風貌である。
静かに息を整える。
ここはロープもレフェリーもいないリング。
敵は他者ではなく、自らの肉体と精神の怠惰だ。
熱気がアントニオ猪木の卍固めの様に襲い掛かる、
皮膚の奥で筋肉が軋む。
やがて、ロウリュの音が響く。
香油水が焼けた石に注がれ、白い蒸気が一斉に立ち上る。
それはまるで、観客が総立ちになり、歓声が爆発する瞬間のようだ。
私はその熱波を正面から受ける。
耐える。燃える。溶ける。
その刹那、痛みと快楽の境界が崩れる。
天山広吉の「モンゴリアン・チョップ」の様に肩に
熱気が伸し掛かる様であった。
熱のリングを降りると
水風呂と言う、リングサイドに身を預ける。
縦長の浴槽の奥に打たせ水あり
それは試合を終えたレスラーに注がれる聖水のように、全身を貫く。
心臓が跳ね、呼吸が震える。
だが、その一瞬の冷たさの中に、確かな“生”がある。
薬師湯のサウナは、ただの設備ではない。
それは、熱と肉体と魂が交錯するリング。
誰も見ていない闘いの中で、人は己の肉体に誠実になる。
整いの刹那、意識が遠のく、
リングにタオルを投げ入れられる。
サウナというリングの上で。
力尽き、しかし満たされ、
肉体が敗れ、魂が勝った。
TKOである。
ここでは誰もが闘い、誰もが倒れ、
そして皆、美しく立ち上がる。
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サウナの告白①
曇天
東京は港区PARADISE
港区という街は、常に人間の虚栄と成功の匂いを撒き散らしている。
夜風に晒され、秋の肌寒さが季節を感じる
街路には突如として酒の匂いを孕んだ灯火が羅列している。
かつてこの地に湯屋「万才湯」があったという。
その古き名残を剥ぎとり、代わって現れた
このPARADISEという響きが、私にはどこか背徳の匂いを孕んで聞こえた。
不釣り合いの中に蒼い暖簾に横文字のPARADISEと表記された暖簾を潜る。
木の温かみを感じるカウンター越しに
静かに佇む女性従業員に説明を受ける
湯屋と思えぬほど現在的なシステム化された儀式で入場する。
現代のシステムとは、誰一人として掌握していないのに今の我々はQRコードという象形文字に黙って服従するだけである。
支度場の暖簾を潜る。
時代を閉じ込めたアンティークの一室が鮮明に目の前現れる。
更にロッカールームへ進む
そこにはまた別の時代に移行した様な気分である
浴場は江戸時代の様な装いである。
體を清め、熱の庵に中に出陣する為のサウナハットが
甲冑の兜を被るかの如く心情に映る。
扉を押すと、むっとする熱気が頬を打った。
そこには、沈黙の中に潜む共同体があった。裸の男たちはそれぞれの沈黙に勤しみ、汗に濡れた肌がまるでオーギュスト・ロダンの彫刻の様に輝いていた。
90度ほどのドライサウナの熱は、心の溜まった邪気を焼くには充分であった。皮膚が痛みを超えて甘美な痺れへと変わるとき、私は一瞬、自分の肉体が他者のもののように感じられた。
ロウリュの始まりを告げる声を響かせる。
それは合図ではなく、儀式の鐘であった。
木製の杓で水を掬う。
熱のこもった空間は一瞬、呼吸を潜める。
――ジュッ。
その音が、私の鼓膜を貫いた。
白い蒸気が爆ぜる。熱が生き物のように這い、私の胸を、頬を、唇を焼く。
懺悔にも似た浄化であり、あるいは破滅の前触れであった。
やがて、視界が歪む。
汗が瞼を伝い世界は曖昧な光の中に溶けてゆく。
本能的に意思と共に体の芯から自然に立ち上がり
熱の庵に背を向ける。
水風呂に身を預ける。
14度程の冷水が、刃のように皮膚を裂いた。
だが、その痛みの奥に、何か透明な幸福があった。
皮膚は三味線の弦のように震え、全身がひとつの音を奏でる。
私はその音の中に沈み、静かに冷たい息を吐いた。
整いの地に向かう為に木製の威厳のある階段を踏み締める。
畳が一面に広がり、点々と置かれた整う椅子、長椅子が置かれている。
隅の一畳ほどの畳に大の字に體を預けて泥の様に溶けていく。
港区の地で、私はこの都市の底の「楽園(パラダイス)」に触れたのかもしれない。
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サウ後日記⑨
ハシゴ旅
晴天
東京は墨田区東向島、寺島浴場
いつの事であったか、私には思ゐ出せぬ。
東向島の路地を吹き抜ける風が、どこか秋風を含んだような冷たさを帯びており、
小生はその風に背中を押されるまま、
平凡なる一軒のビルに足並みを揃える
コンクリートの外壁は少しばかり煤け、看板の灯りは切れ、「寺島浴場」と書かれている。
何の色気もなく、小洒落た改修の痕跡すらない
気取らぬ建物というものが、都内にまだ存在するとは驚きである。
入口の自動ドアをくぐるやいなや
私は一人の主人と対峙した。
ここでの作法、ルールを鋭い眼光で説明を受ける。
小生、言葉にならない返事とただただ頷いた。
サウナに入ると申し出した。
主人は私の手首を掴み、ひとつの黄色の輪をはめた
出陣を命じられた兵士に与えられる招集令状のごとき重みを持っていた。
支度場で己に向き合う為の、人間の本来の姿になる。
體を清めた後にいざ、熱の庵に身を投じる。
天井は低く、壁は近い。その圧迫感。
四人ほどでぎゅうぎゅうと人間の肉体で満たされていた。肩と肩、肩と灼熱の壁が触れる勢いである。
サウナの仕様は驚きの温度130度あり、
フィンランド製のMISAストーブを使用したセルフロウリュ式サウナである。
室内に香油水とラドルがあり、
サウナストーンに香油水をかける前に回りに許可を得る、15分間間隔を空けること!
主人の言葉が脳裏に鮮明に呼び戻される。
諸兄である白濁パラッソス氏
肩幅は単なる寸法を超えている、まるで世界の重みを受け止めるために設計されたかのように、鎧のごとき骨格と筋肉が広がるが
悲しいかな、その肩幅の為に灼熱の壁に一瞬、肩が触れる。
肌は一部腫れ上がり、薄い膜に守られた水膨れが、光を受けて不気味に透ける。
その姿を目にした瞬間、胸の奥に静かな痛みが走った
この光景だけで熱の庵の熱さが伝わるだろう、これこそが、熱と蒸気の無言の教えである。
焼石からの香油水の蒸気が背中を出口に押し出す。
體を清め、體が冷水を激しく欲する。
地下水を掛け流しで使っている。12℃の冷たさで
體の表面から骨の髄までもが一瞬で硬直し、呼吸は震え、指先は己の存在を抗議するかのようにこわばる。
水風呂を出て半露天風呂の扉を開く、
30℃のぬる湯が魂が清められ、瞬間ごとに存在の深淵と接触する快楽である。
不感の湯、そこでは感覚の喪失が、かえって生命の証明となる。
寺島浴場を背に向け、夜が明ける墨田区東向島の街へと戻る心は静かに澄んでいる。
そうして次の湯屋に赴く。
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サウ後日記⑧
ハシゴ旅最終章
曇天
九月一四日
拙き文、遅参いたしました。
その間隙こそ、私にとって苦痛であり、また一抹の美学でございました
東京は板橋区板橋、ゆ〜らんど
ビルの谷間に忽然と現れる大衆の殿堂。
街のざわめきがようやく沈殿し、電燈だけが湿っぽくぼやける舗道を照らしている。
ゆ〜らんどの入口へ続く階段は、まるで小さな劇場の舞台へ上がるための花道であった。
自動の扉が自身を誘う様に銭湯と夜闇の仕切りを跨ぐ
深夜の闇を背に、店主は微笑みを絶やさず、まるで夜空に差し込む月光のように、客の心を柔らかく照らしていた。
彼の挨拶はまるで戦地から帰還した兵士を迎える凱旋のラッパのごとく、客の心を解き放つ
浴場にてサウナに入るための支度
それは、ただ体を清めるだけでなく、精神を研ぎ澄ます前奏曲である。
私は深呼吸をひとつ、心を整え、熱気の中へ身を委ねる準備を整える。
浴場はかすかな湿気と、長年の歴史が染みついた匂いが漂った。
壁のタイルには、幾重もの時間の痕跡が刻まれ、完璧な清潔とは程遠い
決して綺麗とは言えない浴場それは、装飾を剥ぎ取った、裸の人間の営みを映す神聖な舞台であるのだ。
今回は小生が案を出し、浴場を選別した為に
諸兄、白濁パラッソス氏は
表情には軽薄な嘲笑が漂い。軽い感謝の言葉をもってその顔だけで十分に侮蔑の意図が伝わる。
手のひらがわずかに湿り、指先に力が籠る。言葉はまだ口をつかずとも、心の中で怒りの声が轟きわたる
やり切れなさを誤魔化す様に熱の庵に引き開けると
90°ほどの熱気でオーソドックなドライサウナであるが湿度も感じほど柔な熱気が體を包む。
高く掲げられた光の祭壇「TV」が据えられている。
その位置は、まるで神殿の祭壇のごとく、凡俗の視線を見下ろす高さにあり。
首筋にひそかな緊張が走る。
私の頭は反り返り、後頭部の筋肉が細かくうねる。
汗を滴らせた肩甲骨を背に
足を踏み出し、浴場の冷気を迎える。湯気の残像が、空気の中でかすかに揺れる
體を清めた後
20℃ほどである水風呂に身を沈める瞬間、全身を包む冷たさが
女性の細い白い腕に包まれる様に體を抱擁される様な官能的に妄想を掻き立てる。
整いの刹那、全身が溶け、心が静かに澄んだ。
言葉はこれ以上いらないのである。
諸兄は軽く頭を下げ、口元に微笑を湛えながらも、その目は何事もなかったかのように澄んでいる。
軽率な謝罪の言葉は声に感情の揺れはほとんどなく、謝罪の重みは表層にのみ漂っている。
私達は板橋を去る。振り返ることなく、しかし確かに刻まれた時間と場所を胸に抱き、夜の深みにゆるやかに溶けてゆくのである
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サウ後日記⑦
ハシゴ旅
曇天
九月一三日
東京は板橋区の蓮根、紀の国湯
諸兄、「白濁パラッソス殿」と共に
汗の余韻を纏い、夜風を切って歩く。
夜の板橋を歩く足は、すでに熱を帯びた皮膚と疲労に支配されていた。
しかし、諸兄の言葉は冷徹だった。「もう一軒、行くぞ」。その一言が、都市の夜を裂き、肉体の理性を踏み躙る命令となった。
雑踏を一歩離れ、蓮根の夜気を抜けると
街灯の黄味がかった光はすでに遠く、
目の前にはネオンのピンク色 が妖艶に滲む紀の国湯がスケベな気分が微かに心を支配する。
自動ドアのセンサーが静かに反応すると、金属の枠が音もなく開き、都市の湿気とネオン光の境界線が消えた。
番頭の愛嬌あるお姉さんがカウンター越しに微笑んだ。
その微笑みはまるで淡い香りのように漂う。
これから始まる肉体の儀式への招待状のように思えた。
支度を整えて、いざ浴場の自動ドアは自身の體を誘う。
浴場では珍しく趣のある作りに時代の境界は曖昧になる。
體を清め、礼節の誇りを胸に熱の庵の扉を引き開ける。
私は圧倒される。
広大な空間はただの熱気の籠もる場所ではなく、精神のための競技場のようである。
町の銭湯としては異例な、広大なサ室の存在である。
90度ほどの熱気が體一気に包み、
汗が血気とともに吹き出る様であった。
部屋の片隅で無言のまま映像を映すその黒い箱の光でサ室の影が揺らめく。
ダンスグループの映像に
小生達は思わず眉をひそめる。肉体を磨き、熱気と水に己を委ねる本来の男の姿とは異なり、彼らは軽薄さと遊戯の中に生きている。
広いサウナ室に漂う蒸気こそが、時代に左右されない真の男らしさを教えてくれるような気がするのだ。
時代遅れかもしれない自分の面を、昭和の銀幕スターのように凛と保たせるのである。
広いサウナ室から、私は静かに立ち上がる。肩に滴る汗を感じながら、木の段差を降りるたび
かつての銀幕スターたちの気品ある振る舞いとはあまりに遠く、おぼつかない足取りで熱の庵を後にする。
紀の国湯の設計は見事である。サ室の扉を開けた瞬間、すぐ左側に冷水の聖域が待ち構え、無駄な動線や不格好な迂回などは一切存在しない。まるで演出された舞台のように、身体の熱と心の静謐が水風呂へと滑らかに誘われるのだ。
20℃の水風呂にバイブラが水面を泡で揺らす
優しく體に纏わりつく水の布を優しく脱がせる様に
火照った體を覚醒させるのだ。
露天風呂があり檜風呂である。
胸の奥が揺れる鼓動が微かに笑顔にする
檜風呂に湯を注ぐ音、かすかに香る、木の匂い、小さな波紋を立てる湯船を横に
外気の風が頬を撫で、瞼の裏に光が淡く揺れる。
ピンク色のネオンに背を向け、次の湯屋に向かうので

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サウ後日記⑥
曇天
九月一三日
東京は板橋区にある、初音湯
秋雨は未だ落ちず、されど湿気は街路の空気を重たくしていた。成増の通りを抜けるうち、街灯の下に古めかしい銭湯には階段に続く入り口にはステンドグラスに飾られており、階段を登ると
墨染の布と赤褐色のレンガ調の壁に
不意に異様な装飾が現れる。天女の彫刻である。
柔らかな衣を翻し、細き腕を天へ差し伸べるその姿は、都会の銭湯にはあまりに不似合いであった。
不似合いであるがゆえに、異様な美を放っていた。
その姿は、いかにも昭和の残照を宿し、時代に抗うかの如く堂々としていた。
聖域に足を踏み入れるための通過儀礼を軽く終えて、
いざ、支度場に入る。
衣服を脱ぎ、裸の身体を晒す儀式。諸兄、
「白濁パラッソス殿」の肉体と並ぶ。
道中、私を促し、諸兄は勝手に銭湯ハシゴの行程を決めた。
意志は強く、無言の支配力を帯びている。
無理やり銭湯ハシゴを続ける身の上に、羞恥や焦燥と混じった嫌な感覚が絡みつく。
小生の心は、微かに揺れるが、どの方向にも傾かぬまま、ただ事物の影を受け止めながら、
洗い場の扉を開く腕は重く感じた。
洗い場で體を清めた後に
熱の庵に入る為の白いプラスチックで作られたサウナキーで木製の扉を引き開ける。
狭き熱の庵は木の壁板が年月を帯びた艶を放ち、87度ほどの熱気が肌を優しく包む。遠赤外線ヒーターの熱気と微かに流れるフィーリング音楽が室内を満たす。その旋律は決して騒がしくはなく、むしろ静かなる熱さに寄り添い、心の奥底に微かな共鳴を生む。
遠赤外線ヒーターが置いてあろう所には
壁で仕切られており、肌の突き刺さす触接的な熱気ではなく。
優しく體の全部を包み込む様な熱気である。
五分程の砂時計を二回返す所で體に纏わりつく汗を滴らせながら熱の庵を後にする。
體を再び清め、水風呂に身を預ける。
水温は20℃程で優しい地下水、體を柔な衣が優しく包み込む、まるで入り口でみた天女になろうとする微かな衝動を覚えるのであった。
言わずもがな好みである。
そうして、次の湯屋に足取りを進めるのである。
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サウ後日記⑤
九月九日 晴天
朝七時半時、街と人々は魂の深淵ではまだ眠りに沈んでいた。
東京は錦糸町、街の喧騒を避けるようにして、裏路地へ足を踏み入れた所に佇む、下町情緒を残しつつも、モダンなデザインとアートが融合したコンクリートを打ちっぱなしにした壁が洗練されていて
ここだけが格調高き装いをまとった異界のように感じられる。
無垢な布に黒字の黄金湯と描かれた暖簾を
志を同じくする者たちと押し分けた。
天井高く木の香が、まるで聖域のように私達を迎えいれる。
支度場で、裸の自我を晒し
聖域に足を踏み入れる、體を清め
熱と木の香の聖域に最大の敬意を示すのである。
熱の庵に足を踏み入れると、約一〇五°ほどの熱気が皮膚に突き刺さり、ヒバの木の薫りが嗅覚を優しく包みこむ、十五分ごとに自動で振りかけられる水が石に触れ、蒸気となって室内を満たす。
その熱はまるで魂に注がれる洗礼のようであった。麦飯石からの熱が容赦なく肌を灼きつき、汗は額から滴り、體の緊張を一つずつ剥ぎ取る。
耐えきった後に水風呂へ身を投じると、十六℃の氷刃のような冷気が刹那に全身を貫き、冷気を含んだ呼吸が鼻を通り抜ける。
外気浴の椅子に腰を下ろすと、朝の風が肌を撫で、都市の雑踏も遠く幻のように感じられる。
アスファルトジャングルの中に生まれる静かな至福の儀式である。
精神の迷宮を駆け抜ける理念、頭の奥で思想が交錯する。
しかし意識を手放す
イデオロギーなんてどうでもいいのだ。
背中に宿る意思が熱の庵に再び男達の手が掛かるのであった。
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サウ後日記④
九月六日 晴天
昭島の地に富士見湯はひっそりと佇む。入り口に一歩足を踏み入れれば、昭和の匂いと下駄箱の絶妙な香りが鼻を交錯する。
富士見湯の存在に対して、私は好きでも嫌いでもない。ただ、そこに在るという事実だけを、體とともに静かに受け入れるなどと
浴友と言葉では軽やかに遊ぶ。しかし心の奥で、私達はその存在を愛して何度も足を運ぶのである。
支度を終えた私は、裸の自らを抱え、静かなる覚醒の空間へと身を委ねる。
無秩序な振る舞いが響く。若者たちの笑い声や足音は、静謐と覚醒の儀式を突如として乱す刃のようだ。
しかし、それも名物。
すべてがこの空間の秩序と混沌の一部であり、裸である自らの存在を鮮烈に意識させる。
富士見湯のサウナは、リニューアルされてなお、静謐と熱の鮮烈さを保っている。夜になると暗闇瞑想サウナとして約100℃の熱を放ち、
桶から柄杓で香油水を掬い、慎重にストーブへと注ぐ事も可能である。
ガンガンとストーブがなり、その隣でロウリュウの石がパチパチとハーモニーを奏でる。
例えるなら玉置浩二と井上陽水の「夏の終わりのハーモニー」が聞こえてくる様であった。
浴友が蒸気の儀を始める
柄杓で香油水を掬い、熱石に一杯、二杯、三杯…と入れる度に
見知らぬ人々の顔が徐々に歪み始める。その変化は一瞬ではなく、熱と汗、意識の微細な揺らぎが少しずつ形を作る儀式の過程である
最終的に六杯ほどの重く熱い蒸気を生み出した。
浴友のその笑顔は、微かに歪みを含み、熱気と蒸気の中で、その場にいる皆が恐ろしく映ったであろう。
長く耐え忍ぶ事は出来ず熱の波動が背中を出口に強烈に押す。
汗を四方八方から流すシャワーに體を預け清める
水風呂に歩みを進めると
富士見湯には二つの水風呂がある事に驚く。
迷わず露天水風呂を選ぶ
20°の昭島の地下水を使っていて
浸かると、時間の感覚は溶け、ずっと入っていられるような錯覚に囚われる。裸の身体は冷気に包まれる。
今回は支度場で整う。
タオルで體拭き水滴を残さずしっかり拭き上げる。
ベンチに大タオルを敷き、目を瞑る
周りは笑い声や話し声が空間に満ち、ざわざわとした賑わいは、単なる不快ではない。
どこかふるさとのような安心感を与える。
そうして相変わらず富士見湯の夜空の深い青は徐々に薄れ、昭島の街に朝日が差し込むのであろう
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サウ後日記③
九月五日 曇天
三鷹の下町を抜け、古びた暖簾をくぐると、そこに立つ布袋様が、風呂上がりのように微笑み
時が止まったかのような空間が広がる。
千代乃湯である。木の香りが立ち込め、浅い灯りが壁に反射する。
券売機で入場券を買う。レンタルタオルは非ず、タオル、バスタオルを購入する形式である。
千代乃湯にゐた証を思ひ出として持ち帰れるのも
言葉に尽くせぬほどの温かい喜びで胸が満たされる。
浴場に向かう渡り廊下にレトロ調の装飾が飾られて
いて
わたくしの中の無垢な少年の躍動が魂を震わせる。
男湯の暖簾をくぐり更衣室いや、「支度場」に入る
支度を終え、裸で立つ私は、少年のような無垢と大人の覚醒が交錯する境地にある。
浴場の扉を開き、まず體を清める。
他の入浴者に対する敬意を示すためにも、必ず体を流すこと。これは浴場における暗黙の礼法であり、浴場の秩序と美を守る行為である。
熱の庵の扉を前に勾玉の様形の鍵を掛けて引きあげる。
世界の輪郭が一瞬、鮮明に立ち上がる
確かに古びた暖簾をくぐった、レトロな装飾が脳裏に流れる。
木は丹念に磨かれ、光を帯びて微かに香る。熱気の中にあって、その整然とした美しさは、静かな荘厳を放つ
まるで異界に足を踏み入れたかのような感覚に包まれた。
千代乃湯の熱の庵はコンフォートサウナで 湿度高く発汗良い。
テレビ画面の光が室内に揺らめき、時の流れは静かに體とは裏腹に凍ったかのように感じられる。
時間が刻々と刻まれたのちに
體も汗を吹き出し皮膚の至る所で血気が上がる
熱気に身を晒し、汗を滴らせるごとに、冷水への欲求は鋭く尖ってゆく。
扉の向こうに待つ冷気が、まるで救済の神の手のように思え、私は全身を投げ出すようにして脱出する。
洗い場のシャワーで體を清め、冷水を受け入れる支度を整える。
息を潜め、ゆっくりと確かに、そして覚悟をもって水風呂に入る。熱と冷の交錯の中、己の存在が鮮烈に意識される。
温度は22℃と優しく、柔な冷水が體を包み込む様で水の毛布をかける様な感覚であった。
天然名水の看板あり。先代が手掘りで掘り出した天然地下水を掛け流しで使っていると聞く。
水風呂を出る、歩みが本能的に露天風呂の方に寄る
露天風呂への扉を押し開けた。
視界が一瞬拡張され、世界の輪郭が鮮烈に立ち上がる。
細い橋が水面に架かり、月光がその影を映して揺れる。
水面の波紋とともに鯉は泳ぎ、熱にほてった身体と冷たい風の感覚を一瞬忘れさせ、精神だけが鮮烈に目覚める。
こうして私は裸で、湯と月光と、そして己の存在と向き合ったのである。

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サウ後日記②
銭湯ハシゴ
九月四日 曇天
中野の商店街に煌々と朱色の看板を掲げて佇む中野寿湯温泉。
静寂が広がるこの場所は、まさに現代の隠れ家のようである
銭湯ハシゴであるからしてシャワーで軽く體を清めて
颯爽と熱の庵(ねつのいおり)に手をかける
遠赤外線のストーブが奏でるゴンゴンと唸る音と共に、体内から滲み出る汗が、日々の煩わしさを洗い流していく。温度は約100℃。無音の中で、ただ自らの息遣いと滝汗に目を奪われながら。その静寂の中で、心は次第に研ぎ澄まされ、精神は清められていく
一二分時計は非ず、壁の左右に砂時計が取り付けられ
おおよそ五分程の物であろう
時間を気にせず砂時計の砂がサラサラと汗とともに落ちるさまは一貫性を感じざる得ない。
砂が落ち切ると共に裏返す手が自然と手を伸ばした。
きっともう體は限界に達する前だったのだろう
焦りに似た感情であったのだ。
砂がサラサラと三分の一も行かない所で
出口に誘われる様に體が進もうとした。
修行ならばあまりにも緩い自分に嫌気がさす。
そんな自分は好きなれません。
最後の足掻きで
諸兄、白濁パラッソス殿の教えが蘇り
ストーブに前に背を向ける様に立ち
心の中で一分を1…2…3…と唱える
限界であるからであろう一分(六十秒)と言う時間が静かに重く流れる
耐え忍び扉を押して熱の庵の間を離れる。
世界は同じままなのに、すべてが新しく見える。
滝汗をシャワーで丁寧に清める
サウナとは振る舞いの美も学べる聖地の様である
振る舞いの美を胸に水風呂に身を委ねる
水風呂の温度は高めである。
されど、それもまた、この儀式の一部として受け入れられる。
しかし小生はそれは好きという感情からは少し遠い、微かな反発の中にある。
脱衣所を抜けると、外気浴のための小さなスペースが広がる。
今の時代に逆境した様に灰皿が置かれている
灰皿に手を伸ばし、静かに煙草に火を点す。
煙草の煙は、夜の中野区の空に溶け込み、思考の流れを繊細に引き伸ばす。
まるで時間そのものが煙のように、ゆったりと流れていく
中野寿湯温泉の朱色の看板を背に商店街のタイル調の道を歩いて帰路に着く
揺れる街灯、そして湿った夜気が、
どこからともなく笠置シヅ子の「東京ブギウギ」歌声が漂ってくるかのようであった
[ 東京都 ]
小生、初めて指筆を執る。
サウ後日記①
九月三日 曇天
中野の住宅街に佇む、新越湯
同席の者は
諸兄である白濁パラッソスさんである。
道中、小生の振る舞いに、白濁パラッソスさんは静かに眉をひそめる。
その無言の呆れが、鋭利な刃のごとく刺さる。
この軽妙さの裏にある信頼は、静かに胸を温める。
小生、ここで話を元の軌道へ戻すことにした。
入り口を潜ると元々病院であったかの様なガラス張の壁が点々と広がり誘われるかの如く
広いロビーに迎えられ。
受付には、番台の巫女のごとき方がゐた。
その姿は、まるで湯処の守護神のやうに静かに優しく、確固として空間を支配してゐた。
そこから地下への階段えと導かれ。地下に広がる浴室は、昭和もしくは古代神殿を思わせる厳かな雰囲気である。
地下に誘われ一段一段と降りていく中で地上との接続が切れ
’’声と影を閉じ込めた小箱"から強制的に
「デジタルデトックス」
今の現代人に必要な事だろうと思ふ間に、足裏が
浴場の門を叩く。
サウナの支度を終え、體を清める。
いざ「熱気の刑場」とも言ふべき小室に入る
遠赤外線のガスストーブによるドライサウナである。
一二分時計は否ず、テレビと砂時計のみが常設されている。
時間に追われる日々の中で
吹き出す汗ととも、己の秒針がゆっくりと進む
熱で體に血気が巡り肉体が悲鳴を上げる。
刑場を背に汗を洗い場で體を流し清める。
水風呂という名の「魂を鍛ふる水の聖域」に踏み入れるのだ
小生、20°ほどの水の聖域が好みで
熱で唸りをあげる體を優しく纏う布の様
體の中が熱気から静寂になるのに呼吸10回程の行程も必要ではなかった。
内気浴の椅子はやすらぎの湯の前に二つ併設されて
支度場にもソファなど点々とあるが
土地土地のお兄貴さんの独占場である。
外気温は非ずである。
地下から地上に出る階段を踏み締めながら上がると
現実の世界に引き戻される様
出口に進むと夜の生暖かい風の中に
コインランドリーの優しくそして柔らかなかほりに
穏やかさと懐かしさを感じ
次の湯屋に歩みを進めるのである
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